黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は田中好子さんの誕生日なので

東芝 TP-60055

夏ひらく青春・十七の夏 ポップス・ベスト20

発売: 1975年

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ジャケット



A1 夏ひらく青春 (山口百恵)

A2 十七の夏 (桜田淳子)

A3 はだしの冒険 (アグネス・チャン)

A4 巴里にひとり (沢田研二)

A5 恋の暴走 (西城秀樹)

A6 哀しみの終るとき (野口五郎)

A7 花のように鳥のように (郷ひろみ)

A8 ひと雨くれば (小柳ルミ子)

A9 初めての涙 (天地真理)

A10 乙女のワルツ (伊藤咲子)

B1 我が良き友よ (かまやつひろし)

B2 シクラメンのかほり (布施明)

B3 カッコマン・ブギ (ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)

B4 歌ってよ夕陽の歌を (森山良子)

B5 いつか街で会ったなら (中村雅俊)

B6 ボクチンの友だち (ジ・エマニエルズ)

B7 ペパーミント・キャンディー (チェリッシュ)

B8 内気なあいつ (キャンディーズ)

B9 異性 (片平なぎさ)

B10 水色のときめき (ザ・リリーズ)

 

演奏: ゴールデン・サウンズ

編曲: 斉藤恒夫

定価: 2,000円

 

東芝の歌無歌謡の主軸はジミー竹内とエキサイターズの『ドラム・ドラム・ドラム』というイメージが一般的だが、そのシリーズはどちらかというと和洋折衷な内容だし、当時は寧ろ歌謡リスナー以外の層にアピールしたという気がする(故に、他社のドラムものとの差は歴然としており、その分ここでは「他社のドラムもの」の魅力にスポットを当てていきたいと思っている)。純粋な意味での歌無歌謡には、東芝はあらゆる角度からアプローチしており、中にはかなり洗練された高度な音楽的試みをしているものもあるが(時に『はれんち!なんせんす』のようなぶっ飛んだものも)、場末感という点での「看板アイテム」は「ゴールデン・サウンズ」名義で出された一連のものである。

早くて67年にはこの名義のアルバムが出ており、演奏メンバーは一定していないと思われるが、カラオケブームが訪れるぎりぎりまで活動を重ねた。この名義のアルバムの特徴は、とにかくジャケットがきわどい。他のアルバムの解説では「一度に3枚、同じアルバムをお買い上げになったお客様」への言及があるくらいで、まさに雰囲気作りのシンボル的存在に祭り上げられたようだ。こうしてエロジャケ史に名を残すことになったゴールデン・サウンズだが、75年に出したこのアルバムは、なんと!猫ジャケ。別の特定の人種が大騒ぎしそうな。歌のない歌謡曲で他に猫ジャケってあるのだろうか?無理もない。内容が当時のヤングポップス中心ですから。演歌皆無(「ひと雨くれば」だって、当時の水準からすればポップスである)、当時の若者の心を踊らせた若々しいヒット曲がずらり20曲。演奏の方は、2~3年程前までのノリ重視から手堅くコンパクトな調子に移行していて、この辺もクリスタル・サウンズを意識しているような。以下、聴きどころ。

「夏ひらく青春」一聴すると手堅い感じだが、ブラスの音を空間系エフェクト処理したり、ドラムもマルチチャンネルで録ったり、こだわりまくった音作り。続く「十七の夏」共々、主旋律を奏でるフルートに乙女っぽい性格を投影していて、「職人芸」的なプレイとは距離を置いている。対してA面中盤、特に「恋の暴走」「花のように鳥のように」はストリングスで盛り上げる。選曲されてるだけで熱くなってしまう「乙女のワルツ」は原曲キーのため、アルトフルートによる演奏。息遣いにまで初々しさを感じる。

ニューミュージック系中心に選ばれたB面の中では、異色ノヴェルティソング「ボクチンの友だち」が耳を引く。某バンドの変名リリースという説が濃厚なこのきわどい曲、元々はフランスのアニー・フィリップが66年に歌い、日本では江美早苗のカヴァー盤で知られる「チャカブン」を改変したもので、シンセの音色に可笑しさを残しつつも、歌詞抜きだと乙女ソングとして立派に聴ける(汗)。B面終盤もフルートのラブリーな音で盛り上げまくり。猫ジャケが似合う、乙女心をくすぐる1枚(B6は除くとしても…笑)。スーちゃんや秀樹、ムッシュを偲んで聴きましょう。