黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は園まりさんの誕生日なので

テイチク SL-1200

二人の銀座 

発売: 1967年3月

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ジャケット



A1 二人の銀座 (山内賢和泉雅子)

A2 恍惚のブルース (青江三奈)

A3 青い瞳 (ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)

A4 夢は夜ひらく (園まり)

A5 逢えるじゃないかまたあした (石原裕次郎)

A6 いつまでもいつまでも (ザ・サベージ)

B1 お嫁においで (加山雄三) 🅱

B2 君といつまでも (加山雄三) 🅱

B3 夕陽が泣いている (ザ・スパイダース)

B4 赤坂の夜は更けて (和田弘とマヒナ・スターズ)

B5 逢いたくて逢いたくて (園まり)

B6 おもいで (布施明)

 

演奏: 有馬徹とノーチェ・クバーナ

編曲: 池田孝、山倉たかし

定価: 1,500円

 

1966年以前にも「歌のない歌謡曲」ビジネスは当然あったが、当時まだ崩れるに至ってなかった「レコード会社専属作家制度」の縛りのせいで、他のレコード会社が出している歌謡曲のインストカバーをするという行為はまずあり得なかったのである。その縛りを破壊したのが、ニセ洋楽として65年世に出た「涙の太陽」であり、それに続いた和製ポップス革命であった。そんなわけで、67年に入るとレコード会社の枠を超え、当時のヒットナンバー全般を取り上げた演奏ものレコードが、市場に溢れ出すことになる。そんな中の1枚がこれで、69年にかけて月5~6枚という怒涛のペースで歌無歌謡アルバムを出し続けたテイチクの最初期の「越境」作品集。既に石原裕次郎のカバー集を出し、トップラテンバンドの枠から飛躍し始めていたノーチェ・クバーナが、より幅広い歌謡ヒットに取り組んだアルバム。当時バンドのトロンボーン奏者を務め、後に大映レコードで音楽監督の中心的存在となる池田孝と、元同バンドの専属ピアニストで、離脱後はテイチクを先導するアレンジャーとなる山倉たかしの共同作業によるアレンジが行われている。

ベンチャーズサウンドの原曲とかけ離れたラテン的アレンジの「二人の銀座」に始まり、GSサウンドに比較的忠実に取り組んでいる「青い瞳」、ドメスティックなメロディーをグレン・ミラー的感覚で料理した「恍惚のブルース」「夢は夜ひらく」、さすがに昨日取り上げたエルム盤とゴージャス度では雲泥の差の加山メロディー2曲、オリジナルより突っ走ってるのではという印象の「夕陽が泣いている」、まさかのタンゴアレンジで、一瞬「ふしぎなくすり」が始まったのかと錯覚させる(爆)「逢いたくて逢いたくて」など、聴きどころ満載。後の歌謡曲仕事(歌あり歌なし問わず)で明るみになりまくる「山倉サウンドの秘密」の萌芽もここそこに汲み取れる、貴重なアルバム。全演奏メンバーのクレジット入りというのも親切な仕様。