黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

1969年、今日の1位は「禁じられた恋」

クラウン GW-5084

港町ブルース 大正琴は歌う

発売: 1969年7月

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ジャケット



A1 夜明けのスキャット (由紀さおり) 🅴

A2 港町ブルース (森進一) 🅵

A3 長崎は今日も雨だった (内山田洋とクール・ファイブ) 🅶

A4 七色のしあわせ (ピンキーとキラーズ) 🅲

A5 君は心の妻だから (鶴岡雅義と東京ロマンチカ) 🅴

A6 夜の慕情 (美川憲一)

A7 禁じられた恋 (森山良子) 🅲

B1 時には母のない子のように (カルメン・マキ) 🅴

B2 初恋のひと (小川知子) 🅴

B3 港町・涙町・別れ町 (石原裕次郎) 🅳

B4 みんな夢の中 (高田恭子) 🅲

B5 京都・神戸・銀座 (橋幸夫) 🅱

B6 あなたに泣いた (青江三奈)

B7 君からお行きよ (黒沢明ロス・プリモス) 🅲

 

演奏: 吉岡錦正、吉岡錦英 (大正琴)/クラウン・オーケストラ

編曲: 福山峯夫

定価: 1,500円

 

主力商品のテナーサックス、ドラム、ギター以外にも、ありとあらゆる楽器を前面に出し歌無歌謡の可能性を追求しまくった(故に、『さわやかなヒット・メロディー』の牙城に食い込まなかったのが惜しすぎる)クラウン、やはり大正琴にも手を出していました。大正琴ということで、声がかかったのは当然あの二人。これから当ブログで紹介する大正琴レコードは、ほぼ全てこの二人をフィーチャーしています。

69年中盤のヒット曲で固めたこのアルバム、音色がしっくり来るドメスティックなメロディーが中心になってるけど、やはり味わいが不思議。長崎は今日も雨だったも、旋律を崩し気味になってる箇所があったりして、伴奏の場末感も絡んでかなり侘しい出来。それ以上にポップス系の曲からもたらされる妙な空気が、このアルバムの色を決定づけている。6曲、5日前に紹介した森岡賢一郎編曲のアルバムと重なっているが、洗練度は雲泥の差。冒頭の「夜明けのスキャットからして、テイチクのスタジオで録られたのかという錯覚さえ抱かせる、「こんなにこんなに愛してる」感が漂うバッキング(特にベースとドラムのフィルなど「もろ」なところもあり、山倉氏の波長が確実に伝わってそう)に乗せて、黙々とメロディーが奏でられる。残念ながらBメロの7小節目のコードは変えられている(ここはほんと重要なので、この曲のヴァージョンを語る時に避けて通れない)。同じ福山氏が手掛けたギター・ヴァージョン(5月3日参照)には、「テイチク感」はまるでなかったのにね。やはり、ミュージシャンを丸ごと変えたのだろうか。こちらは「’68オールスターズ」名義を使ってないし。

これ以上に破壊力が強いのが「禁じられた恋」。この曲の場合、キハーダの音が必要以上に強調されてるとか、リズムのジャングル感(?)がより際立っているとか、アレンジの面白さを決定づける要素が固定しているのだけど、このヴァージョンにはそれらがない。ただ単に平坦に、しかもオリジナルよりテンポがかなり遅く演奏され、キハーダが入るはずの部分には控えめにクラッシュシンバルが入るのみ。その侘しさを、大正琴が淡々と奏でるメロディーが強調しており、それが逆説的なやばさを醸し出している。まるでいけない恋をした後、一人で家路につく背中を照らす朝陽のような感触だ。同様の孤高感は、案の定「時には母のない子のように」にも顔を出しているが、こちらは曲の性格上、そんなに違和感がない。

全編を通して、律儀に全ての音が均等なタッチで演奏される大正琴。その表情を決定付けるのは、バックの音との温度差。その事実が非常によくわかるアルバムである。緩急つけた曲順も、それを強調するのに役立っている。ジャケットの爽やかさは不似合いだな…裏も違うモデルが同じようなポーズをとってるし。