黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は松本隆さんの誕生日なので

CBSソニー SOLG-19~20 

歌謡ワイド・ワイド・スぺシャル '73~'74ベスト歌謡ヒット

発売: 1973年11月

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ジャケット



A1 空いっぱいの幸せ (天地真理)

A2 白いギター (チェリッシュ) 🅴

A3 アルプスの少女 (麻丘めぐみ) 🅱

A4 冬の旅 (森進一) 🅲

A5 魅力のマーチ (郷ひろみ) 🅲

A6 わたしの宵待草 (浅田美代子)

A7 夜空 (五木ひろし) 🅱

A8 君が美しすぎて (野口五郎)

A9 夏色のおもいで (チューリップ) 🅲

A10 記念樹 (森昌子)

B1 わたしの彼は左きき (麻丘めぐみ) 🅳

B2 てんとう虫のサンバ (チェリッシュ) 🅴

B3 胸いっぱいの悲しみ (沢田研二) 🅴

B4 忍ぶ雨 (藤正樹) 🅱

B5 色づく街 (南沙織) 🅴

B6 夜間飛行 (ちあきなおみ) 🅱

B7 草原の輝き (アグネス・チャン) 🅴

B8 十五夜の君 (小柳ルミ子) 🅴

B9 ひとりっ子甘えっ子 (浅田美代子) 🅲

B10 恋する夏の日 (天地真理) 🅲

C1 危険なふたり (沢田研二) 🅴

C2 君の誕生日 (ガロ) 🅳

C3 他人の関係 (金井克子) 🅱

C4 なみだ恋 (八代亜紀) 🅴

C5 伽草子 (吉田拓郎) 🅱

C6 女のゆめ (宮史郎とぴんからトリオ) 🅱

C7 傷つく世代 (南沙織) 🅴

C8 恋の十字路 (欧陽菲菲) 🅱

C9 くちべに怨歌 (森進一) 🅱

C10 裸のビーナス (郷ひろみ) 🅳

D1 若葉のささやき (天地真理) 🅲

D2 赤い風船 (浅田美代子) 🅳

D3 春のおとずれ (小柳ルミ子) 🅱

D4 愛への出発 (郷ひろみ) 🅱

D5 円山・花町・母の町 (三善英史) 🅱

D6 中学三年生 (森昌子) 

D7 同棲時代 (大信田礼子)

D8 狙いうち (山本リンダ) 🅱

D9 霧の出船 (五木ひろし) 🅲

D10 怨み節 (梶芽衣子) 🅱

 

演奏: クリスタル・サウンズ

編曲: 矢野立美、伊藤祐春、土持城夫

定価: 2,500円

 

突然、私的な話で恐縮ですが、6年前から宗内(の母体)が住む町の最寄駅の近くにあるうどん屋さんの看板には、大々的に「ゆでめん」の文字が掲げられている。その4文字を見るだけで、様々な感慨に襲われる人が連日駅付近を行き来していると想像されるのだが、去る5月のある日、駅に向かって歩いていたら、前を歩く明らかに老夫婦な二人の旦那様の方から、このような言葉が聞こえてきた。

「あそこに『ゆでめん』ってあるだろ。昔、松本隆とか大滝詠一がやってた、はっぴいえんどってバンドが出したファーストアルバムが、『ゆでめん』って言ってな…」

勿論そのアルバムのタイトルは実際ははっぴいえんどだし、最初に松本さんの名前が出てきたのも示唆的ではあったけど、何よりその言葉を発したのが、たとえリアルタイムで彼らの音を聴いたことがある人達であろうが、明らかに「老夫婦」以上の描写が思いつかない人間であることに軽い衝撃を受け、思わずそのことをTwitterに呟いた。

そのツイートが、事もあろうに松本隆氏本人にリツイートされ、どえらいことになってしまった。まさしく、今最も旬な作詞家の先生である。2日目にトリビュートアルバムも出たばかりだ。

 

本来、「歌のない歌謡曲」に敬意を表するブログであるから、なるべく作詞家の先生に関する敬意は最小限に留めるつもりであったのだが(それ故、伊藤アキラ氏の訃報が伝えられた時は、それに対する反応を抑えていたのだ)、歌手や作曲家の誕生日だったり、チャート1位が記録された日付に該当しなかった場合は、作詞家の誕生日や命日にもリスペクトを払うことにした。そして、当然の如く、先の事態が訪れたことで、松本隆氏に対するリスペクトも怠らないようにと、この日付のテーマもその5月の段階で確定となった。

問題は、歌無歌謡黄金時代と松本さんの業績を直結するファクターが、極めて限定されることである。当然の如く、歌謡曲の作家としての場合、その初期の作品に着目するしか術がない。「ポケットいっぱいの秘密」でも、「木綿のハンカチーフ」でもよかったのだけど、最も競合した楽曲となると、職業作詞家としての初作品とされる「夏色のおもいで」ということになる。

そんなわけで、同曲を含むこのアルバムを引っ張り出してきたのだが、音楽的なメリット以上に、このアルバムには重要なおもいで(夏色ではない、念のため)があるので、それを語ることに終始したい。その方が有効なオマージュになると思うので。

 

2016年11月28日、宗内(の母体)は静岡にいた。翌年の2月、名古屋で行うDJイベントの下準備のため、前日に現地を訪れ、一泊して帰埼する途上、4月に手に入れて愛聴していた、静岡にある某短期大学のフォークソング部が自主制作したアルバムにテイストが近いレコードが手に入るかもという期待を込めて、その短大に極めて近いリサイクルショップに向かった。

結局、それに類するアルバムは見つからなかったが、せっかく遥々来たからということで、ちょっと気になっていた「歌のない歌謡曲」のレコードを、ジャンク棚から3枚抜いて買うことにした。既に『さわやかなヒット・メロディー』や『魅惑のギター二重奏 雲にのりたい』他数枚、それに4曲入りのEPをいくつか持っていた程度だったが、この3作を入手したことで劇的に視界が変わった。もっと深入りしなきゃ、と思った。

具体的に激震をもたらしたものへと更に焦点を絞ると、そのうちの1作、この『歌謡ワイド・ワイド・スペシャル』に収められている「わたしの宵待草」だった。このラブリーな響き!理想すぎる。こういう音楽をもっと欲しい、願わくば送り出したい、と思った。

乙女の口元に花というジャケットの構図が、リコーダーをはじめとする吹奏楽器の響きが瑞々しいサウンドの可視化という感があるし、載せるのは憚られるけど、内ジャケに飾られた布川富美子女史による各オリジナル歌手の似顔絵イラストも微笑ましい(チューリップはいないが)。音全体が、それと同質のラブリーさに満ち満ちている。もっともっと具体的に書きたいけれど、この2枚組自体、それまでに出ていたクリスタル・サウンズ名義のアルバムから寄せ集めたもので、その原典のほとんどを後に手に入れたため、聴きどころとかその他の蘊蓄はそれらを語る際、改めてということにさせていただきます。ただひとこと、音の風にさらわれそうな、愛すべき作品。