黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

1971年、今日の1位は「わたしの城下町」(2週目)

クラウン GW-5200

魅惑のヒット歌謡ベスト18 川の流れのように

発売: 1971年8月

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ジャケット



A1 ふたりだけの旅 (はしだのりひことクライマックス)Ⓐ 🅲

A2 よこはま・たそがれ (五木ひろし)Ⓑ 🅷

A3 川の流れのように (奥村チヨ)Ⓒ 🅱

A4 さよならをもう一度 (尾崎紀世彦)Ⓐ 🅵

A5 さらば恋人 (堺正章)Ⓒ 🅲

A6 たそがれ・港町 (瀬川瑛子)Ⓑ

A7 天使になれない (和田アキ子)Ⓒ 🅴

A8 いつもなら (朝丘雪路)Ⓐ 🅱

A9 愛の泉 (トワ・エ・モア)Ⓒ 🅳

B1 また逢う日まで (尾崎紀世彦)Ⓒ 🅱

B2 砂漠のような東京で (いしだあゆみ)Ⓐ 🅴

B3 おふくろさん (森進一)Ⓑ 🅲

B4 熱い涙 (にしきのあきら)Ⓒ 🅴

B5 想い出おんな (美川憲一)Ⓐ

B6 17才 (南沙織)Ⓒ 🅲

B7 わたしの城下町 (小柳ルミ子) 🅶

B8 恋仁義 (藤圭子)Ⓐ 🅱

B9 掠奪 (西郷輝彦)Ⓒ

 

演奏: いとう敏郎と’68オールスターズⒶ

まぶち・ゆうじろう’68オールスターズⒷ

ありたしんたろうとニュービートⒸ

編曲: 福山峯夫

定価: 1,500円

 

これだけ大々的にタイトルとして打ち出されると、「あ、あの曲入ってるな」と思って買ってしまう人が多少現れそうな(もちろん、平成以降の中古レコード店でのお話)罪なアルバム。そんな現象を生んでしまったのも、秋元某の功罪であるが(汗)、歌謡界に於いてはタイトルが被るのって必然現象ですからね。このアルバム収録曲でも「愛の泉」はトワ・エ・モア盤がそれなりにヒットしているのに、翌年久保義明が同名異曲を出して、そちらも歌無歌謡化されているし、わずかな時間差に泣いた曲としては「誰にも云わないで」(沢久美)とか「としごろ」(三宅アコ)あたりが容易に思い浮かぶ。「卒業」が一度に4曲も放たれた1985年は、まだまだ遠い未来だった。

というわけでクラウンのメインディッシュ3種盛りという黄金パターンのアルバム。演奏者名義は違えど、全体の流れを統一する場末カラーはいつも通りの安定感。特に今作では全編に渡り、ベースが必要以上にはりきりすぎている。最早珍盤の仲間入りをしている『ベース・ベース・ベース』の手応えはある程度あったのだろうか。よこはま・たそがれでは、トーンこそ抑え気味ながらここまでやらんでもというレベルまでベースが自己主張しまくる。いつもなら他の音も思いっきり派手に出てくるはずのニュービートも、ここでは意外と控えめな演奏。なのにベースは大暴れ、それに気を取られている合間にドラムの炸裂大会が始まる。「あ、あの曲じゃないじゃん」と川の流れのようにの作曲者・歌手クレジットを確認する前に、それだけの激動が起こるのである。「さらば恋人」も自由気ままに走ってるように聴こえて、各楽器が前に出てくるタイミングが巧みに計算されている、なかなかの力演。また逢う日までもそう。オリジナルのスケール感と異質のものを強調して、全く別の印象を醸し出しているのに、全然嫌味がない。ニュービートが挑んだ筒美曲の中では、「赤い風船」に次ぐ好ヴァージョンと言えそう。「砂漠のような東京で」のイントロは、奇遇にもキャニオン盤と同じくオーボエ。但し、オルガンの響きに笛的ニュアンスが感じられて面白い。ラストの「掠奪」は、GSの名残を感じさせる(ついでに「今夜は眠れない」の影も)隠れた名曲だが、エンディング的には「また逢う日まで」の方が強いのではという気もする。