黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は加藤和彦さんを偲んで

ビクター・ワールド W-7024 

恋人たちのフォーク・ロック/あの素晴らしい愛をもう一度

発売: 1971年10月

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ジャケット



A1 ふたりだけの旅 (はしだのりひことクライマックス) 🅳

A2 青春のわかれ道 (ジローズ)

A3 あの素晴しい愛をもう一度 (加藤和彦北山修) 🅲

A4 僕にさわらせておくれ (ピンク・ピクルス)

A5 誰もいない海 (トワ・エ・モア) 🅳

A6 秋でもないのに (本田路津子) 🅱

B1 花嫁 (はしだのりひことクライマックス) 🅳

B2 白い色は恋人の色 (ベッツイ&クリス) 🅳

B3 風 (はしだのりひことシューベルツ) 🅸

B4 恋人 (森山良子) 🅴

B5 星に祈りを (ザ・ブロードサイド・フォー) 🅱

B6 白いブランコ (ビリー・バンバン) 🅶

 

演奏: 猪俣猛オールスターズ

編曲: 小泉猛、八木正生

定価: 1,800円

 

2009年のこの日流れた、加藤和彦さんの訃報はあまりにも唐突過ぎ、悲しすぎた。訃報が伝えられた翌日の夜、予め行く予定だった早川義夫さんのライヴで、なんの前置きもなく歌い出された「からっぽの世界」(ザ・フォーク・クルセダーズのレパートリーとしても知られていた)に、全ての感覚が止まり、時代の終わりを感じた。あれから干支1周し、世界は少しでも回復できたのだろうか。全然、そうは思わないけど。

今日引っ張り出したのは、8月24日の『pop’s in rhythm』に続く大御所・猪俣猛氏のポップスへのアプローチ。当然、歌無歌謡ドラマーAとしての姿と切り離して考えたいアルバムであり、珍しくクレジットされたパーソネルの顔触れからも、先鋭的なジャズ・アルバムと変わらないスタンスが取られていたことがわかる。リード・ギターは川崎燎。当時、既に若き新進ジャズ・ギタリストとして勢いを増していた、後の大御所である。ベースはその筋には説明不要の寺川正興。歌無歌謡で聴ける「暴れまくるベース」と言えば大抵、この人のプレイだと思っていいだろう。クラウンからのリーダー作『ベース・ベース・ベース』は最早カルト盤としての地位を確立しており、ジャンク棚に現れることなど想像できない。フォーク・ギター界を代表する大御所・石川鷹彦が安定したプレイを敷き詰め、キーボードとアレンジは八木正生小泉猛というこれまた凄腕勢。ハーモニカに森本恵夫、フルーゲルホーンに福島照之という色付け要員を配し、曖昧なイージーリスニング・アルバムの域から一歩はみ出た作品に仕上げている。

フォーク・ブームに感じられた過激な一面を廃し、ポップ感覚を重視した選曲でロマンティックな色合いを強調しているけど、安定した演奏により生温いサウンドになっていない。ニュービートのアルバムと異なり、ドラムは完全にサウンドの骨格に徹し、ここぞとばかり前に出てくるところはないし(特にシャープなバスドラの音が印象的)、ベースも抑え気味な自己主張にとどまっている。全体的にギターの優しい音、リードをとるハーモニカやフルーゲルホーンの柔らかい音色が耳に残り、ピースフルというよりナチュラルな長閑さを感じる。まさか川崎燎がこんな譲歩するなんてというイメージもあるけど、「白い色は恋人の色」あたりのプレイには、若さゆえにちょっとかましてみたぜなんてニュアンスも。ユニオン盤では殺伐としたムードに包まれた「花嫁」もこちらでは、バカラック的雰囲気でメロウなアレンジだ。

フィリップス、RCAといった主力傘下洋楽レーベルが相次いで独立し、従来世界各国の独立レーベルと契約・総括する役割を果たしていたビクターの「ワールド・グループ」が69年から邦楽制作に参入。カントリー色の濃いレコードを制作する一方で、ヘルプフル・ソウルに代表されるニューロックを紹介もしていたが、その線上で作られた演奏アルバムとして貴重な1枚。黒レーベルのビクターに出せない味が確かにある。やりきれない悲しみをこんなふうに、愛の力で乗り切れたらいいのに…