黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

追悼・喜多條忠さん

国文社 SKS-103

フォーク・ムード

発売: 1976年

f:id:knowledgetheporcupine:20211201230908j:plain

ジャケット

A1 白いギター (チェリッシュ) 🅶

A2 結婚するって本当ですか (ダ・カーポ) 🅲

A3 我が良き友よ (かまやつひろし) 🅵

A4 心の旅 (チューリップ) 🅲

A5 精霊流し (グレープ) 🅴

A6 旅の宿 (吉田拓郎) 🅺

B1 心もよう (井上陽水) 🅹

B2 学生街の喫茶店 (ガロ) 🅵

B3 岬めぐり (山本コウタローとウイークエンド) 🅱

B4 神田川 (かぐや姫) 🅸

B5 花嫁 (はしだのりひことクライマックス) 🅶

B6 ふれあい (中村雅俊) 🅲

 

演奏: ニュー・サン・ポップス・オーケストラ

編曲: K.Kono、T.Ito

定価: 2,200円

 

また一人、黄昏時代を彩った重要人物の訃報が…歌無歌謡ブログ故、作詞家の業績の重要度にほとんどスポットライトを浴びせることなく進行していたのだけど、神田川の歌詞を書いた方が亡くなったとなると話は別。この5年の間に、この曲が持つ意味はそれ以前の自分内におけるそれから大いにかけ離れたのだ。それを促した最大の原因が、このアルバムにある。

 

2017年4月、歌無歌謡沼に深刻にハマり始めて半年が経とうとしていた頃、とあるミュージシャンユニットと知り合った。その時には意識していなかったが、何度かライヴを観に行くに連れて、彼らの音楽の根底に流れる「かぐや姫愛」に気づくことになる。その1ヶ月後、とあるリサイクルショップでこのアルバム『フォーク・ムード』を見つけた。

勿論、当時はまだハマりたてだったので、国文社の第2回発売がどうとか、そういう先入観全くなしにこのレコードを聴き始めた。どの曲も超メジャーだし、気楽に付き合えるかなと思いきや、意表を突く展開が何度か。特にやられたのが「神田川」だ。

コーヒーのコマーシャルかと錯覚するような、女性スキャットをフィーチャーしたロマンティックなイントロ、そのくせして大胆にテープ・フランジャーかまし、ムード音楽の範疇から大胆に飛躍してるなと思った途端、あのメロディが始まるのだ。オリジナルの世界観が見事に打ち砕かれる、庶民感皆無の「神田川」。こんなロマンティックなサウンドなのに、なんてアナーキーなんだろう。

先のミュージシャンユニットの「かぐや姫愛」にも触発されて、何度かのジャンクハンティングの間に、かぐや姫の全オリジナルアルバムを帯付で揃えるという、まさかの行動に及んでいた。小学生の頃、一時的に同居していた姉が持っていたアルバムで、一通り曲は聴いていたが。自分の音楽的成長のベーシックな部分に関して、何年も軽視し続けていたツケが来たと思った。チューリップや陽水、さだまさし(いずれも78年以前)に関しても、大部分は姉経由である。思春期間近の少年がちょっと年上のお姉さんから受ける心理的教育に関して、これらの音楽が蘇らせてくれる記憶は罪深い。

神田川」以外にも、サイケな味付けやハッとさせられる仕掛けで並みの歌無ヴァージョンと一線を画す仕上がりの「心もよう」や、まさかのアーバンな味付けでオリジナルと180度異なる風景を見せてくれる岬めぐり、逆に西洋的退廃性を強調したアレンジで意表を突いてみせる「我が良き友よ」、さらにベースラインが「ホテル・カリフォルニア」色を浮き彫りにして見せる(が、恐らくこの盤の録音はイーグルスのアルバムが出る前のような気がする…不思議)鮮やかなアレンジの「旅の宿」など、ありがちなフォーク・アンソロジー・インスト盤の枠を越えた聴きもの満載の『フォーク・ムード』。国文社第2回発売の中でも最も要注意な1枚であり、このシリーズは裏切らないと確信させてくれたアルバム。やっぱり、これらの曲を愛してないと楽しめないんですよね。ついでですが、このアルバムと7曲も収録曲を共有している森進一のアルバム『湯けむりの街』は、「歌入り歌無歌謡アルバム」の重要盤として語られるべき作品で、各種サブスクにもありますので是非。

つくづく、3年前の夏、目論んだメンバーで遊べなかったことが悔やまれます。窓の下には…多摩川

(なお、画像の帯は改題されたセカンドプレス時のもので、なぜか他の国文社第2回盤を買った際付けられていました)