黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は遠藤実先生を偲んで

ミノルフォン KC-4003~4

箏が唄う 遠藤実傑作集

発売: 1969年

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ジャケット

A1 涙のとなり (千昌夫)

A2 出世船 (田端義夫)

A3 渋谷ブルース (バーブ佐竹) 🅱

A4 夜の鳩 (都川弘とブルーロマン)

A5 赤い花 (田端義夫)

A6 十勝川ブルース (バーブ佐竹)

A7 こまっちゃうナ (山本リンダ)

A8 他人船 (三船和子) 🅲

B1 新宿そだち (大木英夫・津山洋子) 🅲

B2 雨おんな (バーブ佐竹)

B3 佐渡の夜 (三沢あけみ)

B4 女のさだめ (三船和子)

B5 おけさ太鼓 (関本登美子)

B6 一生いちどの恋 (大木英夫)

B7 いつでも拍手を (チャコとアップリーズ)

B8 青い月の恋 (千昌夫)

C1 君がすべてさ (千昌夫) 🅲

C2 ねんねん船唄 (田端義夫・西崎緑)

C3 君が好き (千昌夫)

C4 女の盛装 (三船和子)

C5 椿ちる宿 (大木英夫)

C6 佐渡なさけ (三沢あけみ)

C7 花はみたび咲く (牧村純子/愛川みさ)

C8 雨の新宿 (大木英夫・津山洋子) 🅲

D1 天国の (三沢あけみ) 🅱

D2 親星子星 (田端義夫・西崎緑)

D3 土佐のひと (二宮善子)

D4 金沢ブルース (加賀ひとみ)

D5 (辰巳晴也)

D6 哀愁節 (浜田一夫)

D7 エルムの恋 (ザ・デビィーズ)

D8 星影のワルツ (千昌夫) 🅴

 

演奏: 羽賀幹子 (箏)/ミノルフォン・オーケストラ

編曲: 無記名

定価: 2,500円

 

遠藤実先生の訃報が伝えられた2008年12月6日、宗内(の母体)は飯能にあるライヴハウスに、立木久美子さんのライヴを観に行っていた。「立木久美子」といえば、麻丘めぐみさんの姉である藤井明美さんが、歌手活動の末期に名乗っていた芸名であり、その引退から30数年を経て、その名前を愛娘である麻衣さんに託し、自らはプロデューサーとして影の存在に徹し始めたのである。宗内が初期WEB活動で明美さんに対する熱情を顕にしすぎたのを、当時バンドで活動していた麻衣さんにチェックされて、「立木久美子」としての活動が始まるや否やちょっとした追っかけ状態に陥り、明美さん本人とも何度もお話させて頂いたり、唯一持っていなかった盤をお譲りしていただきもしたのだけど、そのお礼に自身も手元に残していないという曲まで含めて「コンプリート・シングルズ」をCD-Rにしたためて、その夜持参したのだ。明美さんはその時不在だったが、まさか恩師である遠藤先生がその日亡くなったなんて、夢にも思うわけがない。家に帰ってニュースを目にした時(ちなみに初めてスマホを購入する前の年のこと)、冷静さを失った。明美さんの才能を見出し、67年自ら主宰したミノルフォンレコードから「花里あけみ」として世に送ったのが、遠藤先生だったのだ。

遠藤実先生が亡くなった日のことを振り返ると、この事実に直面して胸が痛む。とにかく、ミノルフォンのシングル盤はめちゃ集めまくったし、買えない盤もデータと画像だけはなんとか収集しようと奮起したものだ。ここまでポリシーがはっきりしたレコード会社は、少なくとも昭和40年代の日本では稀だった。今でこそ「ブルーナイト・オールスターズのミノルフォン」になってるけど、本来はそんなもんじゃない。レーベル自体がドラマであり宇宙であった。

この2枚組は、そんなミノルフォン最初の4年間に残された遠藤実作品から厳選して、琴のおしとやかな音色で綴ったアンソロジー。当然、一つのアルバムを同じ作曲家の作品で綴るケースは稀であるが(過去、本ブログでも『加山雄三ヒット・メロディー』しか取り上げていない)、本盤では全てオリジナル・ヴァージョンのオケを使い、本人プロデュース作と呼んでもおかしくない作品になっている(但し、ほとんどの曲が「編集ヴァージョン」で収録されている。元々シングル曲の演奏時間制限にこだわらないレーベルだったのだ)。昨日のブルーナイト・オールスターズ盤でも、オリジナルのオケを使うことによる妙味に触れたけれど、これの場合そこまで違和感がない(奇しくも昨日の盤にも入っている息の長いヒット「他人船」は、本盤では当然65年版ヴァージョン)。マルチトラック録音が発達していない時代のレコーディング故、限界を悟って聴ける分そこまで気になるわけじゃないし、琴という楽器の性質上、楽調に応じて調弦を変えられるというメリットがあるので、サックスやギターよりも対応しやすいわけである。何より、遠藤メロディーにこの音色がハマりまくっている。ど演歌というイメージに囚われちゃいけない。ファンシーな「こまっちゃうナ」にも、グルーヴィーな「いつでも拍手を」(宗内がミノルフォン沼にハマったきっかけは、何を隠そうこの曲)にも、ハワイアン色を打ち出した「涙のとなり」にも、しっかりその「艶」を刻印している。山内喜美子さんの芸大の後輩にあたる羽賀幹子さんが、この重大なタスクを背負い、フレッシュな響きを編み出しているのだ。

マニアックな視点からすると、初出は牧村純子のシングルA面ながら、同じオケを使って愛川みさの「誰にも云わないで」のシングルB面に流用された「花はみたび咲く」と、あの「恋のサイケデリック」でおなじみ北海道のカルトGS、ザ・デビィーズの2ndシングル「エルムの恋」の選曲が目を引く。前者は「誰にも~」に火がつかないうちに取り上げられたらしく、微妙なタイミングがカルトな興味を生んだわけだし、後者はオリジナルのオケを使用しているということは、編曲は山屋清である!こんなところで隠れキャラ化しなくとも。今後のカルトGS界での扱いに注目したいヴァージョンだ。

最後の最後、「星影のワルツ」で幕引きするのもいかにも。こうして、「ミノルフォン」という屋号の歴史はひっそり曲がり角を迎えた。70年以降(厳密には72年以降)は、本当なら「徳間音楽工業」と呼ばなければいけないのである。まぁ、「日本グラモフォン」も便宜上ずっと「ポリドール」って呼んでたから、別にいいか、ですけど。