黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日はハンフリー・ボガードの誕生日なので

ビクター SJV-978

ディスコ・サウンド 最新歌謡ヒット!

発売: 1979年

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ジャケット

 

A1 YOUNG MAN (Y.M.C.A.) (西城秀樹) 🅱

A2 夢去りし街角 (アリス) 🅲

A3 ジパング (ピンク・レディー) 🅱

A4 HERO (ヒーローになる時、それは今) (甲斐バンド) 🅱

A5 私のハートはストップ・モーション (桑江知子) 🅱

B1 夏に抱かれて (岩崎宏美)

B2 夢想花 (円広志) 🅴

B3 美・サイレント (山口百恵) 🅱

B4 モンキー・マジック (ゴダイゴ)

B5 カサブランカ・ダンディ (沢田研二) 🅳

 

演奏: セクシー・ジャム

編曲: いしだかつのり

定価: 1,800円

 

79年初頭、西城秀樹ヴィレッジ・ピープル「Y.M.C.A.」をカヴァーというニュースが流れた時、一部のファンがセンシティヴに反応したことが伝えられもしたけれど、結局はあらゆる世代・人種を励ますヒットになり、「ザ・ベストテン」で唯一パーフェクトスコア(9,999点)を叩き出した曲として万人に記憶される名曲となった。一方、米国では79年に入るとあまりの盛り上がりに「アンチ・ディスコ・ムーヴメント」が勃発し、シカゴの野球場でハーフタイムにディスコのレコードが燃やされるという過剰な「お祭り」に発展しもしたが、その反動で商業化するロック(というか、その手の人達はみんなテッド・ニュージェントを聴いてましたからね、当時は…)に反発する層から「ディスコ擁護派」も生まれ、ニュー・ウェイヴ・ディスコという新たなファッションの誕生に繋がったり。それに比べると、日本での「お祭り」は健全なものだった。秀樹がその傾向に拍車をかけたのはいいことだったのか…いずれにせよ、厨房だった自分はあらゆる音楽的トレンドに対しても好奇心を持てた分、幸せだったのかも。

そんなことを思い出す「和製ディスコ・サウンド」の歌無歌謡盤がこちら。ノンストップミックスなんてお洒落な方向に走らず、ただただ踊りやすいビートを畳みかけてくる。「今宵踊らん」の無垢な若人向け盤、みたいな感じだ(笑)。当時オリジナルのヴィレッジ・ピープル盤を出していた立場故か、「Young Man」はスムーズにこなされているが、まさかアリスの「夢去りし街角」までその手の料理法をかまされるとは。にやにやしながら踊るしかなかっただろうな、当時現場で流れたら。「私のハートはストップ・モーション」はよりブギー的な骨格が露わになった演奏で、これはトレンディだ(笑)。「夏に抱かれて」の爽快感溢れるフュージョン的解釈、そのままじゃとても踊りにくい夢想花を強引に4つ打ち処理するところなど、半端じゃない気合の入れ方だ。「モンキー・マジック」もオリジナルに近い演奏だが、さらに派手に彩っている。

同時期にビクターのインビテーション・レーベルが出した英語版の歌物、バラクーダの「ヘイ・ミスター・ヨサク」みたいなど変化球があればもっと楽しかったのに、と思わせるけど、この位の量で止めといて正解。クリスマスの夜はボギーに思いを馳せつつ、七面鳥食って呑んで騒いで踊りましょう。