黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日はボブ・ボーグル(ザ・ベンチャーズ)の誕生日なので

ビクター SJV-505

望郷/12の楽器が歌う歌謡ヒット・メロディー

発売: 1971年5月

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ジャケット+盤

A1 望郷 (森進一) 🅴

A2 愛のきずな (安部律子) 🅴

A3 見えない時計 (アン真理子)

A4 小さな日記 (フォー・セインツ) 🅶

A5 時は流れる (黛ジュン) 🅵

A6 愛のフィナーレ (菅原洋一) 🅲

B1 別れたあとで (ちあきなおみ) 🅲

B2 愛でくるんだ言訳 (安倍律子) 🅱

B3 京都の恋 (渚ゆう子) 🅶

B4 女は恋に生きてゆく (藤圭子) 🅲

B5 女の意地 (西田佐知子) 🅶

B6 誰もいない海 (トワ・エ・モワ) 🅶

 

演奏: ビクター・オーケストラ

編曲: 舩木謙一

定価: 1,500円

 

「歌無歌謡界のサージェント・ペパー」は何かという質問、まさかしてくる者はいる訳ないだろうけど、もしされたら躊躇いなくこのアルバムと答える。曲の羅列的にはコンセプトも何もないのに、それぞれの個性を一つの流れの下にまとめて、見事な「レコード・ショウ」を形成している。時流に任せてインスタントに焼き上げられがちなこの種の盤としては異色すぎる。33分強というわずかな時間を駆け抜けていく、一つのドラマである。

タイトル通り、収録曲毎に異なる楽器をフィーチャーし、音楽の持つ多様な色を、70年当時の最新ヒット曲を通して提示していく形式で、曲と曲の繋ぎにまで工夫を持たせ、単なる寄せ集めとは一線を隠した構成になっている。舩木氏が自ら書いたライナーでは、それぞれのスター・プレイヤーの名前も明らかにされており、アルバムの趣旨をより明確にしている。通常の歌無歌謡盤でここまでやっていたら、キリがないですからね。

冒頭の「望郷」のイントロに効果音を入れることさえせず、「純音楽」を貫くことでより劇的なオープニングを狙っているようだ。クラビオリン的な音のエレクトーン(松木優晴氏)をフィーチャーしつつ、バックの演奏はライヴ感に溢れている。曲間を直接繋がず、極僅かなギャップを設けつつ、このエンディングと次曲「愛のきずな」の出だしにある種の連続性を感じさせるアレンジも見事。松木氏のクラシカルなピアノから、気怠いアルト・フルートにバトンタッチ。バックの演奏も、エキゾチック・サウンドに山倉タッチのストリングスをまぶし、実に誘惑的だ。フルート奏者は、名盤「さわやかなヒット・メロディー」でもフィーチャーされた小山岳氏。

「見えない時計」はさりげなくレア選曲を紛れさせた印象で、作曲者としての舩木氏の自己アピールコーナーである。松木氏はチェンバロを弾いているが、同じほど前面に出ているオーボエ奏者の名前は明記されていない。転調して次の曲にスムーズにバトンを引き継ぐかと思いきや、また全然違うキーで「小さな日記」が始まるのもドラマティック。ヴァイオリン・ソロはビクター・オーケストラのコンサートマスター、中山朋子さんだ。こんなところで女性奏者の活躍を明確にされるのも、また貴重な証言。「時は流れる」は歌無歌謡では希少なソプラノ・サックスが歌う。シームレスに「愛のフィナーレ」へと流れて行き、フルートのラブリーな音で前半が締めくくられる。この辺の構成は鮮やかとしか言いようがない。

B面冒頭の2曲は鈴木淳氏のムーディな曲調を派手ではない音で淡々と綴り、クラリネットとミュート・トランペットをそれぞれフィーチャー。そこにいきなり、異国情緒たっぷりに京琴の調べが食い込んでくる。恐らく、「京都の恋」のオリジナル盤でも山内さんは演奏していると思われるが、この流れの中で主旋律に登場することで、意外にも浮かび上がる「黒くぬれ!」色。このエンディングが、ロマンティック色を浮き彫りにした「女は恋に生きてゆく」へと繋がるマジック。この感じは、何となく『サージェント』のB面冒頭2曲の関係を想起させる。松崎竜生氏のヴァイブが、この曲に隠されたポジティヴな色合いを引き出しているようだ。

ラスト2曲はそれぞれ、松浦ヤスノブ・木村好夫という2大大御所をフィーチャーしてのクライマックスで、似たようなテンポながら敢えて連続性を持たさない流れにして、爽やかな余韻を持たせる演出にしている。そこが『サージェント』との最大の違いだろうか。好夫ギターの個性たっぷりの響きは、これでよかったのだという安堵感の表れだ。今、このコンセプトで演奏レコードが果たして作れるか。ライヴで同種の試みをやるのには最早多大なリスクが付き物になったけれど、それぞれのスター・プレイヤーが推しの楽器で個性を激突させるのを、一つの考え抜かれたドラマの中で見てみたいものだ。しかしこのジャケ写、わざわざ撮らせたんでしょうかね…贅沢ではあるけどそれはないよな、という感じ(例によって隠していますが)。