黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は皆川おさむさんの誕生日なので

クラウン GW-5134

みずいろのポエム ストリングス・ストリングス・ストリングス

発売: 1970年4月

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ジャケット

A1 恋人 (森山良子) 🅷

A2 白い蝶のサンバ (森山加代子) 🅵

A3 みずいろのポエム (ちいさなオルフェ)

A4 私が死んだら (弘田三枝子) 🅳

A5 帰りたい帰れない (加藤登紀子) 🅱

A6 恋狂い (奥村チヨ) 🅳

A7 花のように (ベッツイ&クリス) 🅴

B1 喧嘩のあとでくちづけを (いしだあゆみ) 🅳

B2 愛の美学 (ピーター) 🅳

B3 黒ネコのタンゴ (皆川おさむ) 🅳

B4 逢わずに愛して (内山田洋とクール・ファイブ) 🅳

B5 土曜の夜何かが起きる (黛ジュン) 🅴

B6 恋ひとすじ (森進一) 🅶

B7 白い鳥にのって (はしだのりひことシューベルツ) 🅲

 

演奏: ストリングス’69

編曲: 小杉仁三

定価: 1,500円

 

「ドラム・ドラム・ドラム」はまだ解る(楽器名としては「ドラムス」が本来の姿だし、「ドラム」を動詞として捉えればそれで良いのだ)。「ベース・ベース・ベース」は苦し紛れだけどしゃあない。「ストリングス・ストリングス・ストリングス」は…流石に無理がある。歌無歌謡を生んだ一つの時代を表す「記号」みたいなものでしょう。

ポール・モーリア楽団の「恋はみずいろ」が全米チャート1位にまで達したのは、68年2月のこと。エレガントなオーケストレーションを前面に出しつつ、今日的なビート感を強調したムード音楽が一躍「演奏もの」の主流になり、世界各国の楽団の演奏がこぞって市場に紹介された。こじんまりとしたコンボ演奏で最小限の洗練感を出し、何とか歌謡曲との接点を保ってきた日本の「洋風演奏もの」にも、この波は当然影響を及ぼしたと考えたいが、歌ものレコードではいくらど演歌だろうが、当たり前のように力の入ったオーケストレーションがもたらされていたわけだから、演奏ものが豪勢になるのも当然の成り行き。ただ単に、大勢の楽団員をコントロールせねばならなくなり、制作費もかさむのが面倒だっただけだけど、やはり日本の演奏家のミュージシャンシップが強靭な分、対応能力はちゃんと備わっていたわけだ。場末感濃厚なレコードを多数市場に送っていたクラウンが、この波に乗るのも納得。それでこのタイトルだもんな。

アルバムの主題曲として採用されたのは、男性二人組・ちいさなオルフェが歌う「みずいろのポエム」。70年に正式発足し、東芝のエキスプレス・レーベルの好敵手として、プロ意識に囚われないフォークの旗手を一斉に送り出したパナム・レーベルの最初期の1曲。このレーベルを一気にブレイクさせたかぐや姫南こうせつも、そんな最初期にソロ歌手としてデビューした一人だ。このデュオからは、後にビクターでソロ活動を始め、今もなお健在の金森幸介が巣立っている。ストリングスのスウィートな響きをアピールするにはうってつけの楽曲で、内ジャケットに本人たちの姿をフィーチャーして相乗効果を狙ったものの、いまいちな結果に終わってしまった。この調子で、ガール・グループのサウンド・オブ・コケコッコーやレ・シャットゥ・ドゥ・マルディも推して欲しかったところであるが。

いまいち地味なテーマ曲を配したものの、先立つ2曲のメジャー曲でもエレガントな響きが強烈に打ち出されており、急造な歌無歌謡のイメージはない。まさに、ちょっと早い「ラブ・サウンズ」そのもの。その後も、ど演歌の「恋ひとすじ」やら、他のヴァージョンに負けじとねっとりしたグルーヴを放ってみせる「土曜の夜何かが起きる」のような異色の展開を交えつつ、ひたすら流暢に迫ってみせる。やはり「花のように」「白い鳥にのって」といったフォーク曲が、最もバランスが取れている感じだ。この傾向は、流石にクラウンのメイン歌無歌謡路線に溶け込めず、早々と打ち止めとなるのだが、小杉仁三氏の功績は数多の通常歌謡でいくらでも語れますからね…歌無的には、やっぱ「昔の名前で出ています」の人になってしまう(汗)。