黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は五輪真弓さんの誕生日なので

デノン CD-4095

オカリナによるニュー・フォーク/耳をすましてごらん

発売: 1973年1月

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ジャケット



A1 耳をすましてごらん (本田路津子) 🅲

A2 インドの街を象に乗って (六文銭)

A3 赤色エレジー (あがた森魚) 🅱

A4 涙はいらない (ガロ)

A5 ひまわりの小径 (チェリッシュ) 🅴

A6 少女 (五輪真弓) 🅱

B1 さよならをするために (ビリー・バンバン) 🅶

B2 学生街の喫茶店 (ガロ) 🅶

B3 風と落葉と旅びと (チューインガム)

B4 遠い遠いあの野原 (森山良子) 🅱

B5 かもめ (浅川マキ)

B6 旅の宿 (吉田拓郎) 🅼

 

演奏: はちの巣

編曲: 宮本光雄

定価: 1,500円

 

70年代初頭、密かに注目が高まった楽器の一つが、オカリナ。80年代に宗次郎が登場して以降、一気に市民権を得たイメージがあるが、宗内が小学生の頃購読していた学研の学習雑誌の付録に、簡素な作りのオカリナがついてきたりして(その辺のモノは、音楽表現者としての宗内の母体の形成に、大いなる影響を及ぼしている)、密かに親しみやすい楽器のイメージを浸透させていたのである。歌謡曲での使用例も僅かながらあり…いしだあゆみがテレビで「砂漠のような東京で」を歌った時、最低1回は楽団員がオカリナでイントロを奏でているのを見た記憶があるのだが、レコードで演奏されていたのは別の笛である、と堅く信じてはいるけれど…

そんな時代だからこそ企画されたのがこの盤で、オカリナを全面にフィーチャーしてのフォーク名曲集。演奏しているのは「はちの巣」という謎めいたユニットだ。当然、こだわりを持って聴いてしまうけれど、ここで聴かれる笛の音を全てオカリナと言い切っていいのかとか、この笛一つでこのレコードに収められたような演奏がスムーズにできるか否かとか、数々の問題点を浮き彫りにさせる。何せ、単体での表現音域に著しく制限がある楽器なのは否定できない事実で、それこそ「砂漠~」が公的に与えた誤解も、その事実の認知の少なさに起因するものだ。よって、笛にこだわりがあればあるほど、複雑な聴後感が残るのだ。その分、別の面で爽快感がもたらされる箇所もいくつかあるけど。

テーマ曲、湯浅譲二作曲による「耳をすましてごらん」は、イノセントなイメージがある分序曲として申し分ない配置だ。相当低音を放つオカリナもあることはあるが、ここでは低音部をテナー・リコーダーにより補強しているようだ。続く「インドの街を象に乗って」では、低音域で楽しそうに戯れ、最後の方のアドリブは茶目っ気たっぷり。音程的に怪しいところがたまらない魅力になっている。

問題は続く「赤色エレジー。アレンジがシンプルな分、メロディをスムーズに奏でられない様子が露呈してしまい、リヴァーブなどを使っていないため余計ムラが出ている。先に触れた音域的限界の都合上、異なった笛の演奏をパンチインしているのが見え見えで、なんかサンプリングしたみたいな音になっているのだ。むしろ、尺八でこの曲を演っているのが聴きたくなる。続く、「学生街の喫茶店」のロングヒットのせいでスリーパーに甘んじてしまった「涙はいらない」は選曲だけでも胸熱だが、冒頭の演奏はテナー・リコーダーに譲り、曲の清涼感を的確に表現している。これもオカリナの音なのか、と聴き手に印象付けかねないのが、この作品の最大の問題点であり、結局最後まで聴いた結果、アルバム全体におけるオカリナとリコーダーの比率が6対4位であることに気付くのである。ともあれ、この曲のエンディング近くでは、低音部を奏でるオカリナのピッチが、ギターのチョーキングのように危うく揺れて、思いがけぬ萌え効果を出してしまっている。「ひまわりの小径」も歌い出しはリコーダーで、思わず『さわやかなヒット・メロディー』を聴いているのかと錯覚させる。続く「少女」がこのアルバムのヤマのようなもので、オカリナとリコーダーが対等にその「乙女性」を競い合うアレンジが爽快。「学生街の喫茶店も、本家レーベルらしからぬ軽めの解釈が心地よく、テナー・リコーダーの危なっかしい音(ついつい、国仲涼子が歌ったカヴァー盤を思い出した!)と高音のオカリナの絡みに胸キュンする。最も原曲の乙女度が高い「風と落葉と旅びと」は、放課後の女学生の戯れのような純潔な響きで、ここでの笛の演奏は全部リコーダーではなかろうか。チューインガムの歌無盤はもう一つ、コロムビアに「岡田さんの手紙」がある。聴きたい!思わず、モモンガが出てきそうな「遠い遠いあの野原」の解釈も意外だけど、続く「かもめ」は選曲そのものが事件。完全なるジャズ・ロックに配された笛の響きが、浅川マキと一味違うブルージーな感触をもたらす。最後の方、トランペットに負けじとベンド奏法を聴かせるのは、オカリナならではの強み。

「これ聴いて実践しましょうね」と煽られてオカリナ買ってきてコピーに挑んで、初めて「あれっ?」となる人も続出しかねない1枚だけど、別のことも出来そうじゃんと覚醒させるには充分。ハーモニカと同じで、いろんな種類を揃えればレパートリーも広がるし、今じゃ1体で2体分の働きをこなせるオカリナまで開発されていますからね。もちろん、リコーダーで充分じゃんと気付いた人にとっても、またとないヒントになる1枚かも。歌無歌謡界でのリコーダー・ルネッサンスは、このアルバムの発売間も無く訪れることになるのだ。