黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は前野燿子さんの誕生日なので

マーキュリー MCR-301L

最新ヒット歌謡曲 京都から博多まで・涙

発売: 1972年

f:id:knowledgetheporcupine:20220124050001j:plain

ジャケット

 

A1 京都から博多まで (藤圭子) 🅴

A2 ちいさな恋 (天地真理) 🅷

A3 かもめ町 みなと町 (五木ひろし) 🅶

A4 さすらいの天使 (いしだあゆみ) 🅴

A5 愛の架け橋 (ヒデとロザンナ) 🅱

A6 雪あかりの町 (小柳ルミ子) 🅵

B1 涙 (井上順) 🅳

B2 ともだち (南沙織) 🅶

B3 別れの朝 (ペドロ&カプリシャス) 🅸

B4 雨のエアポート (欧陽菲菲) 🅷

B5 愛する人はひとり (尾崎紀世彦) 🅵

B6 終着駅 (奥村チヨ) 🅶

 

演奏: マーキュリー・スタジオ・オーケストラ

編曲: 無記名

定価: 1,300円

 

日本マーキュリーレコードのアルバムは、この次の番号で出た洋楽カヴァー盤『アメリカン・パイ』を先に紹介したが、歌無歌謡のアルバムとしてはこれが最初のリリースと思われる。番号がそれを物語っているけれど、なんとかメジャーの一角に食い込みたい思いがあったのでしょう。先の洋楽盤を聴けば一目瞭然だけど、せこいビジネスの域は脱しようがなく、いくら編曲クレジットを曖昧にしようが(歌詞掲載面を見ると、コピペしなくてもいい原曲のアレンジャーの名前まで記されているけれど、彼らに使用料を払ったわけではなさそうだし)、聴く耳を持つユーザーの感性は誤魔化しようがないのである。まぁ、そこまで愛しいのがここ、黄昏みゅうぢっくの所見ではありますが。

アメリカン・パイ』同様、大編成で雰囲気を盛り上げるビッグバンド・サウンドが基調になっているけれど、何せアルバムの半数が筒美京平作品故、洋楽に対するアプローチと同質のものを覚悟するのは必然のようなものである。オープニングの「京都から博多まで」は、まぁいい。地方の県庁所在地のキャバレーで聴けるような鄙びたバンドアンサンブルが、曲の主題をドラマチックに綴っていく。「ちいさな恋」からが問題なのだ。この曲をはじめ、1月10日に紹介したMCAのアルバムと5曲重なっているけれど、そこで聴けるガチなサウンド構築と、重量感に決定的な差が出すぎている。ドラムの響きにちょっと工夫が伺えるけれど、一方でベースののりが悪く、ブラス・サウンドのせこさも否めない。「愛の架け橋」になると、強さはどこに行ったのやらという印象。あまり他では取り上げられない曲故、もっとがんばって欲しかった。特に間奏が残念。「涙」もせこいフォークダンス曲みたいなノリになっちゃっているし。「ともだち」は強力ヴァージョンが多い曲故、このせこさにかえって安堵感を感じるくらいである。「別れの朝」は『アメリカン・パイ』収録の「夕映えのふたり」とは違うテイクで、情感たっぷりのギターをフィーチャーしているが、さすがに洋楽をテーマにしたアルバムとなると、改善は避けられなかったのでしょうね。ギアが入ってきたのか、「雨のエアポート」愛する人はひとり」になるとかなり走った演奏になるが、場末感は避けられない。『アメリカン・パイ』の「ブラック、ドッグ」並のずっこけがあるわけでもないのが、余計魅力を削いではいるけれど(爆)、メジャーものを聴いてるだけじゃ歌無歌謡は語れません、と力説してくれる1枚なのだ。