黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は上條恒彦さんの誕生日なので

マーキュリー MCR-303L

最新ヒット歌謡曲 恋の追跡/瀬戸の花嫁

発売: 1972年

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ジャケット

A1 恋の追跡 (欧陽菲菲) 🅺

A2 ふたりは若かった (尾崎紀世彦) 🅹

A3 ハチのムサシは死んだのさ (平田隆夫とセルスターズ) 🅵

A4 だれかが風の中で (上條恒彦) 🅱

A5 京都から博多まで (藤圭子) 🅴→01/25

A6 結婚しようよ (吉田拓郎) 🅸

B1 瀬戸の花嫁 (小柳ルミ子) 🅾

B2 雨の日の花嫁 (李木蘭)

B3 波止場町 (森進一) 🅵

B4 この愛に生きて (内山田洋とクール・ファイブ) 🅲

B5 フレンズ (平山三紀) 🅲

B6 お別れしましょう (朝丘雪路) 🅳

 

演奏: マーキュリースタジオグランドオーケストラ

編曲: 無記名

定価: 1,300円

 

日本歌謡の歴史を語る時、或る段階においては非常に重要な役どころで登場するはずの「日本マーキュリーレコード」。その真相を素直に語るには勇気が要るが、もしももしもでもしかしたら、このレーベルは少なくともテイチクと同じ位、歌謡界の急激な進歩に貢献したかもしれないし、とんでもなく可能性は低いけどボン・ジョヴィを日本に紹介していたかもしれない。でもやはり、そうはならなかったのである。業務提携はしていたとはいえ、米国のマーキュリー・レコードから商標使用の正式な許諾さえ得ていなかったそうだし。

そんな事情もあってか、これに近い商号を使用した別のレーベルさえいくつか存在したし、日本フォノグラムを母体にマーキュリー・ミュージックが正式に発足した当時にさえ、それらのレーベルのうちいくつかが密かに共存したようだ。ちなみに海外でのこのレーベル名の使用は、ユニバーサル・ミュージックによる統一で一旦は廃止されたが、近年フレディ・マーキュリーのソロ録音を発売するレーベルとして、ちゃっかり復活している(!)。そして日本のエセマーキュリーのうち最低でも一つは、未だにあるらしい(尚、7インチシングル時代突入前のマーキュリーの音源は、巡り巡った末、皮肉にもユニバーサルが原盤権を所有している。これも複雑な事情が絡むらしい)。

60年代以降、一旦はメジャーの華やかな光に葬られたマーキュリーだったが、その間もマイナー規模ながら活動を継続、70年代に入ると自主制作でレコードを作りたいフォーク世代の若者に対して門戸を開く(これらはあくまでもカスタムレーベルとしての商号使用を可能にしたのみであり、販売権までは持たなかった)と同時に、再びメジャーの領域に食い込まんと、演奏もののレコードをいくつか発売している。既に歌謡ものと洋ものを1枚ずつここで紹介しているが、今日の盤はそれらに次ぐ3枚目にあたるもの。この後リリースがあるか否かの真相には突き当たっていないが、昨年5月紹介した77年のカセットの品番が「334」であることを考えると、その間に30作リリースがあると思っていいだろう。別に歌無歌謡に限られるとは思えないけれど…

いかにもマイナーレーベルという感じの、場末のキャバレーバンドっぽい演奏で、洋楽盤『アメリカン・パイ』に収録された「ブラック、ドッグ」程のずっこけ要素はないものの、パチもんノリがたまらない人の腰を揺らしそう。「だれかが風の中で」のフルートなんか、清涼感ある音を出してはいるけれど、「結婚しようよ」になると一気に腰が抜ける。のっけからベースが思いきり調和を乱しているし、全然噛み合わないお見合いの席に招かれているような印象だ。普通じゃない楽器を使って、もっと可愛く演ってもいいじゃないかと思ってしまう。

B面トップの瀬戸の花嫁、昨年10月27日取り上げた『カラオケレコード 青春のうた』で「既聴感を感じた」と記した演奏と基本的には同じで、主旋律を奏でるギターとフルートが、あちらのヴァージョンでは別のギター(カラオケ仕様のため、ちょっと地味)に差し替えられているのみ。この辺の音源のやりとりも、今となっては謎だ…続く「雨の日の花嫁」の選曲がレアだが、どっかから推されたのか、はたまたマーキュリーの選球眼の鋭さか。どちらも考えられないが…

ジャケット、めちゃいいんですけどね。しっかり作ってあるし。