黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

70年、ガチミュージシャンの在り方に想いを馳せる

テイチク SL-34

鶴岡雅義・魅惑のレキント・ギター 白い蝶のサンバ

発売: 1970年

ジャケット

A1 白い蝶のサンバ (森山加代子) 🅻

A2 国際線待合室 (青江三奈) 🅷

A3 喧嘩のあとでくちづけを (いしだあゆみ) 🅸

A4 花のように (ベッツイ&クリス) 🅶

A5 海の底でうたう唄 (モコ・ビーバー・オリーブ) 🅱

A6 黒ネコのタンゴ (皆川おさむ) 🅵

B1 悲しみは女だけに (浅丘ルリ子) 🅱

B2 恋ひとすじ (森進一) 🅸

B3 逢わずに愛して (内山田洋とクール・ファイブ) 🅹

B4 ひとり寝の子守唄 (加藤登紀子) 🅲

B5 私が死んだら (弘田三枝子) 🅹

B6 別れのサンバ (長谷川きよし) 🅳

 

演奏: 鶴岡雅義 (レキント・ギター)/レインボー・ストリングス

編曲: 湯野カオル

定価: 1,500円

 

黄昏みゅうぢっくの潜伏中、宗内の母体の創造精神が急に覚醒したことは昨日も触れたが、その間も世間は不穏な空気に包まれるばかり。ある日、「NHKのど自慢」が生バンドの採用をやめて、カラオケ音源の使用に踏み切ったことをきっかけに、ガチミュージシャンの在り方に対する熱論がSNS上で繰り広げられるに及んだ。確かに、近年の流行音楽の傾向を見ると、そうなるのも仕方ないし、日本の音楽文化を育ててきたものの裏に何があったのかを考察しないと、見えてこない真実があまりにも多すぎる。今、音楽教育を真剣に受けてきた者ほどまともに食えなくなっている一方で、音楽を楽しむための経済的安定のために他のことをして身を削っている人達が「ガチです」態度を見せつける現状があまりにも悲しい。

そして、そんな時に「歌のない歌謡曲」が栄えた頃に思いを馳せるのです。卓越した歌手のために用意される芳醇な楽曲群は、たとえ着せられる豪華なドレスが剥ぎ捨てられようが充分に魅力的で、それに新たなる化粧を与えるのが当時のガチミュージシャンだった。そんな音楽家魂を形成したのが何かなんて、今更追求しても無駄ではないか。

そんな時代の生き残りの一人である鶴岡雅義氏が残した歌謡インストアルバムを、「黄昏みゅうぢっく」で紹介するのは3回目。通常の歌無歌謡がリリースされるSL-1000番台を離れ、歌手の企画ものが主にリリースされている「ゴールデン・アーチスト・シリーズ」の一環として出されたもので、その分半端でない気合の入れ方だ。ジャケットも本人だし。ゴージャスなストリングスを敷き詰めての奥行きあるサウンドは、テイチクの歌無歌謡としてはかなり異色。1曲目「白い蝶のサンバ」から、ファンシーなフルートが舞う中を軽々と突き進むメロディーは、「ムードコーラスの巨匠」という公的イメージを突き破る。所々で聴かせる小技にも意地が炸裂するナイスな解釈。以下、「花のように」「海の底でうたう唄」などポップなイメージがある曲にその特性が出ていて、アルバムのカラーを決定付けている。アレンジ的には、雑多な要素が不思議に融合している「ひとり寝の子守唄」に注目。

何より、自身の多忙な活動の合間にちょちょいと、流行歌最前線に目配せしてしまう音楽家魂。やはり、昭和40年代って凄い時代だったんだなと再認識する。