黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

歌無歌謡はレコード業界の◯◯か!

東芝 TP-7519

さいはて慕情

発売: 1971年5月

ジャケット

A1 さいはて慕情 (渚ゆう子) 🅴

A2 止めないで (いしだあゆみ) 🅴

A3 無駄な抵抗やめましょう (ちあきなおみ) 🅳

A4 ざんげの値打ちもない (北原ミレイ) 🅳

A5 望郷 (森進一) 🅻

A6 さいはての女 (藤圭子) 🅴

A7 知床旅情 (加藤登紀子) 🆀

B1 甘い生活 (奥村チヨ) 🅱

B2 女の意地 (西田佐知子) 🅼

B3 抱擁 (ヒデとロザンナ) 🅴

B4 三人の女 (青江三奈) 🅲

B5 悲しい女と呼ばれたい (日吉ミミ) 🅳

B6 すべてを愛して (内山田洋とクール・ファイブ) 🅷

B7 この愛を永遠に (由紀さおり) 🅱

演奏: ゴールデン・サウンズ

編曲: 荒木圭男

定価: 1,500円

 

その気になればいくらでも買えそうな歌無歌謡のレコードにさえ手を伸ばす労力と財力が衰えてきてるというのに、今年の秋もビッグ・アーティストによる「デラックス・エディション」攻撃が活発化しており、サブスクで聴きゃ済むだろと言われようが心がムズムズしてしょうがありません。最も心をかきむしってくれるのが、ジョンとヨーコの『パワー・トゥ・ザ・ピープル』ボックスセット。一足先に開封映像がYouTubeで公開されたりしているけれど、あの時期のジョン・レノンのラジカルな姿勢を知ることこそ、今後の社会をどう生き抜くかに繋がる重要な課題だと、濃厚すぎるブックレットだけでも物語ってくれそうです。

なのに、重要な曲が1曲、収録されていない。オリジナルの『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』でオープニングを飾るあの曲だ。

コンプライアンス的にアウトというのが暗黙の了解になっている社会が、あまりにも盲目で切なくなる。曲のテーマに特定の人種を嘲笑う目的なんてないのに。むしろ、ステロタイプ的価値観に対して嘆きを表明しなきゃ始まらないだろという、今こそ共有されなきゃいけないテーマを背負っている曲なのに。

 

何でこんなことから書き始めたかというと、今日取り上げる盤もそうですが、今回の14日間限定更新にジャケット画像をストレートに載せることを断念したアルバムが、いくつか含まれているからで。ただでさえ女性のイメージを安直に添え物として使っていると攻撃されがちな歌無歌謡のレコードに焦点を絞ることは、いくら音楽主体だと訴えようが、こんな社会の中じゃリスキーとしか思えないし。でも、やれる限りはやりますよ。これが与えられた使命だから。

このゴールデン・サウンズ名義のレコードも、過度にセンシティヴなヴィジュアルを採用することで、本来の目的を超えた消費をされがちだったことは、過去のレコードのライナーの中でも具体的に示されたりしています(同じレコードを3枚買ったお客さんがいた、という話とか)。でも、本当の目的は最新のヒット歌謡曲に題材を求め、いかに雰囲気作りに適したレコードを作るか。それだけは、75年に至るまで一度もブレたことはないと思います。このレコードも当然そう。ジャケットからは「どこがさいはて慕情や」という印象しか伝わってこないけれど、音が流れ出すと雰囲気は北国に一直線。時々マンチェスターとかリヴァプールの光景が浮かんでくるのは、ご愛敬といったところ(汗)。フルートやオルガンが心地良い響きを醸し出す末に、音像の奥から汽車が走ってくる。その鮮やかな光景が、「望郷」のイントロに再登場するのだ。惜し気もなく高度な録音技術を投入した効果音コレクションを歌無歌謡のレコードにまで引用する、そのクリエイティヴな視点に敬服するしかない。派手目の選曲はないものの、演奏者の息吹が見事に捉えられており、特にフルートや鍵ハモ、京琴(当然山内さんだろう)の響きにどきっとする場面も多い。「三人の女」もしっかり原曲通り演っているし、「この愛を永遠に」も感動的な幕引き。引き締まった演奏に積極性を後押しされる、そんなアルバム。