黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

最後に…1974年、今日の1位は「夫婦鏡」

今月1日の「おまけ」完結に伴い、「あとがき」を数日後にアップして一旦お開きと予告していましたが、なかなか実行に至れず、申し訳ありません…特に7月に入ってから、生活面で激震があり、じっくり物事を考える時間がほぼ皆無になってしまい、そうこうしてる間にも社会にとんでもないことが…それに対してあれこれ言うことは、ここですることではないので避けておきますが、何せ70年代の流行歌を扱うブログ故、直接関係ないとは全く言えないし、90年代の「洗脳文化」に直面した世代としても、素直に物事を受け入れられない部分がある。

まぁその辺の話を長々としてここをお開きにするわけにもいけないけれど、たとえ歌なしであれ「ひとり歩き」も「思いがけない別れ」も、もう気軽に聴けなくなるのやら。それ以外の部分でも、世界が絶望に向かうとまともに聴けない歌が出てくるのかもしれない。「悪魔を憐れむ歌」然り、「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」然り。

 

「おまけ」のコンテンツをまとめている間に、一つただ感慨深くさせるのみの訃報があった。米国ビルボード・チャートの記録をまとめた本の編纂で知られる、「チャートの神様」ことジョエル・ホイットバーン氏が、6月14日亡くなっている。

流石に90年代のある時期からその色は薄れたものの、自分のヒットチャート好きはこの人の本と出会ったことで加速したんだなと思う。元はと言えば、上京したての頃に新宿にあったえとせとらレコードの洋楽専門店で、1955年から80年までのビルボードNo.1ヒット曲のリストを掲載した「ポップシクル」80年11月号を見つけ、その豊潤な歴史に感動を覚えたのが始まりだったのだけど、それから1年とちょっとあと、1位曲はおろか100位以内にチャートインした全ての曲のデータを網羅した本があることを知った時は流石に仰天。銀座にあった近藤書店内の洋書店「イエナ」で実際それを見つけた時は、当時の価格で5桁と気が遠くなってしまったけれど、なんとか自分のものにする術を整えた。それ以降、何度かアップデートしているが、常にバイブルである。

「チャートの神様」の本とブログ主(高2当時)

その後、日本のオリコンチャートに入ったシングルを、同じ方法論でまとめた「オリコン・チャートブック」を、仕事中にあまりににらめっこしすぎるのでと、90年代に勤務していたレコード会社の資料室に譲っていただき、この記録が「おまけ」コンテンツの礎となった。1位曲のランク日付に関しては、「オリコンThe Ichiban」97年5月12号を主な参考資料とさせて頂いた。

こうやって、歌無歌謡の選曲とチャート記録を照らし合わせてみると、ある程度の時間差を考慮せねばならない事情があったのか、実際の成績より「期待度」のほうが重視されていたことが解る。大胆なアレンジを施した盤に関しては、必ずしもそうとは言えないけれど。例えば内田あかり「浮世絵の街」を収録した盤を語ることは一度もなかったけれど、期待感を越えた受け方をした曲が歌無歌謡の「弱点」だったのかもしれない。

まぁそんなこんなで「チャートの神様」にはいろいろと教えてもらったし、自分のあらゆる音楽的思想の基盤は「大衆音楽」にあることは絶対否定しない。音楽的イデオロギーも、常にニュートラルに保っておきたいものだ。

 

そんなこんなで、427枚の歌無歌謡盤(それ以外も38枚含めて)を語ってまいりましたが、これで終わるわけではありません。最後に語るべき盤を入手した後も、地道にネタが増えており(超重要盤と言えるものもいくつか舞い込んできたし)、うっかりしていてデータベースに入れ忘れた盤やら、ダブリが多くて「補欠」に追いやった盤なんかも含めて、年内に「アンコール月間」をやろうと思っています。目標は超えるためにあるものだし!3ヶ月ルールはなおも厳守するので、10月以降買ったネタは恐らく語らないと思います。歌謡以外を取り上げた盤にもまだ語りたいものがあるので、「歌謡フリー火曜日」も復活するかも。それ以外にもムフフな試みをしようと考えています。気力が戻ってきたらですが。

 

最後に、今日のエントリのタイトルは、丁度1年前に村木賢吉さんの追悼に切り替えたため、下書きのアップまでしたものの一旦保留したものをそのまま採用しています。取り上げるはずだったアルバムは、クラウンの『秋日和・ちっぽけな感傷』でしたが、結局2曲を除き他のアルバムとダブっていたため完全に没に。

ダブっていない2曲の片方に寄せた最後の言葉だけ、ここに復刻しておきます。

「想い出のセレナーデ」の叙情溢れる演奏の壁に消え入りそうなまぶち・ゆうじろうのサックスが、まるで捨てられた乙女の涙まじりの叫びのように響いている。一つの時代が終わろうとしているのだ。

 

歌無歌謡の灯は、時代がどう変わろうが消してはいけません。また逢う日まで

秋日和・ちっぽけな感傷』ジャケット