黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は北原ミレイさんの誕生日なので

コロムビア ALS-4594

オール・ヒット・パーティ さよならをもう一度/真夏の出来事

発売: 1971年7月

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ジャケット



A1 さよならをもう一度 (尾崎紀世彦) 🅲

A2 愛の泉 (トワ・エ・モア) 🅱

A3 おふくろさん (森進一) 🅱

A4 ふたりだけの旅 (はしだのりひことクライマックス) 🅱

A5 わたしの城下町 (小柳ルミ子) 🅳→5/29

A6 あの素晴しい愛をもう一度 (加藤和彦北山修)

A7 天使になれない (和田アキ子) 🅱

B1 真夏の出来事 (平山三紀)

B2 熱い涙 (にしきのあきら) 🅱

B3 男のこころ (由紀さおり) 🅱

B4 私という女 (ちあきなおみ)

B5 さだめのように川は流れる (杏真理子)

B6 棄てるものがあるうちはいい (北原ミレイ) 🅱

B7 わかれ道 (西田佐知子)

 

演奏: 稲垣次郎 (テナー・サックス)、オール・ヒット・パーティー

編曲: 河村利夫

定価: 1,500円

 

まずは、8日前にお誕生日を祝福させていただいたばかりのブルー・コメッツ高橋健二さんのご冥福をお祈りします。沈痛になってばかりもいられないので、本題へ。

 

コロムビアの歌無歌謡には大まかに二つの系統があって、元来の歌謡曲制作の流れに属するALS品番と、洋楽レーベルのYS品番から枝分かれしたHS品番。さらに新設されたデノン・レーベルからのリリースもあり、それぞれが独自のカラーを打ち出しながらぶつかり合い、73年の規格統合に至るのだけど、今聴き返してみるとそれほど大差ないというか、お互いの持つ洗練された部分と場末的な部分が相殺し合って、突出したものがないながらもバランスのとれた音が聴けるレコードが多い。ただ、一部YS~HS品番のレコードに、必要以上に価値が付加される傾向が始まっているようで、これから探究したい者にとっては道は厳しそうだ。ALS品番にさえ、あい杏里「恋が喰べたいわ」なんて驚愕の選曲をしている盤があったりして、油断できない。

そんなALS品番に残された『オール・ヒット・パーティ』シリーズは、一見すると保守的傾向にあるかなと思いきや、所々なめてかかれない展開もあって、リーズナブルな価格で出てくる場合が多いのがまだ救いになっている。ものによってはとんでもない価格を呼んでいる稲垣次郎フィーチャーではあるけれど。手堅い演奏だけど、地味にベースが突っ走っていたり、これはなんかあるなと心躍ってしまう。A面では、意外にもわたしの城下町にはっとする。3拍目と5拍目にアクセントを置いた「ミレニウムベース」がこの曲で聴けるとは!5月29日に取り上げた、6年後リリースの所謂『KISSアルバム』にこれが流用されたのも納得。コロムビアに残されたこの曲の歌無版は、これだけじゃないはずなのに。「あの素晴しい愛をもう一度」は、イントロのテクニカルなギターをどの程度消化しているかを重要視して聴いてしまうけれど、ここではキーボード類で少々せこいながら再現しており、その後続くフルートがまさに青春そのものの響きで心躍ってしまう。稲垣さん、リップ音生々しすぎますよ…「愛の泉」も熱い演奏だが、この曲に関しては最強ヴァージョンを意外な人がやってたりするのだ(20日程経ったら取り上げます)。

B面に針を落とすと、いきなり「真夏の出来事」にのけぞる。軽快な演奏だけど、テンポ感はオリジナルより遅く、このペースでフルコーラス演ったら、ただでさえ当時としては長い曲が6分くらいになってしまうでは…と心配するが、なんとか4分以内にまとまっている。エレガントな「男のこころ」を経て、女の闇ゾーンへと突入。悲劇の歌姫・杏真理子の「さだめのように川は流れる」を取り上げているのは、自社推し枠とはいえかなりのディープさ。その後、「棄てるものがあるうちはいい」と、どす黒い阿久悠世界が2曲続く。もしその後、片山三紀子の「私」なんかを演っていたら、確実に歌無歌謡音盤最強の暗闇が形成されていたはず…脇を固める演奏も淡白なようでいて意外とスパイシーな音が目立ち、聴後感は意外にさわやかな1枚です。