黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

人は誰も夢破れ笛を吹く

ユニオン UPS-5217-J

時には母のない子のように

発売: 1969年8月

ジャケット

A1 時には母のない子のように (カルメン・マキ) 🆃

A2 雨 (ジリオラ・チンクエッティ) 🅲

A3 長崎は今日も雨だった (内山田洋とクール・ファイブ) 🆀

A4 涙の日曜日 (ザ・スパイダース) 🅲

A5 行かないで (スコット・ウォーカー) 🅱

A6 心の裏窓 (浅丘ルリ子)

B1 風 (はしだのりひことシューベルツ) 🆅

B2 ふたりだけの夜明け (クロード・ボラン) 🅱

B3 星のみずうみ (布施明) 🅴

B4 くれないホテル (西田佐知子) 🅴

B5 青空にとび出せ (ピンキーとキラーズ) 🅳

B6 グッドバイ (メリー・ホプキン) 🅱

 

演奏: ユニオン・クール・サウンズ

編曲: 無記名

定価: 1,700円

 

ジャケット(すみません、こうするしかなかったもので…)からは窺い知れないけれど、まさかのフルート大フィーチャーアルバムである。解説でも、フルートがいかに進化したかの歴史が綴られており、正にこの時期に注目度急上昇だったのが窺い知れるが、やはりピンキラの貢献度がでかかったのだろうか…GSメンバーにも、大ちゃんやマチャアキ、チャッピーを初めとして吹ける人は相当いたし、決して「お嬢様の嗜み」というイメージは当時なかったのだろう。ただ、やはり出てくる音には清涼感というか、浜辺を駆け抜けるさわやかな風の印象を抱いてしまう(ブルコメの「マイ・サマー・ガール」に相当洗脳されてるな自分…汗)。このジャケットみたいな、プライベートな誘惑は似合わない音なのだよね…ついでだけど前身であるリコーダーは水のない場所のイメージ。若草の髪かざりを付けた森を駆ける乙女たち、みたいな。

例の如く、演奏者の顔は見えてこないし…ホセ・ルイスのアルバムと同様、ラテン・リズムを強調しているのだが、沢村和子ではないだろう(汗)。二人以上奏者がいるのも確実だし、恐らく経験豊富な達人の方々が結集しているに違いない。まぁ、安心して聴けますからね。トップの「時には母のない子のように」に決定的な既聴感があって、特にイントロを省いているところと、2番で転調するところが、一昨年11月14日紹介した『愛して愛して』のヴァージョンと瓜二つ。ということは、この盤のアレンジも池田孝氏確定でしょう。穏やかに始まり、高々と舞い上がるプレイが心を躍らせる。「雨」は冒頭がアルト・サックスで綴られるので、第2フルートのパートはサックス・プレイヤーが兼ねてるのかもと憶測できるし、これら洋楽曲4曲は全て、21年7月20日取り上げた「インペリアル・サウンドが歌う シバの女王」とアレンジを兼用しているようだ(「タッチ・ミー」も演ってほしかったな!)。何よりも痛快なのは長崎は今日も雨だっただ。陽気な8ビートのラテン・サウンドにフルートが舞いまくり、長崎に希望の雨を降らせる。昨年12月27日のヴァージョンバトルは平行線に終わりましたが、これの登場で圧勝決定。「風」も爆走モードのイントロで始まりつつ、曲に入ると優しいサウンド、と思いきや2コーラス前の間奏で爆走。意表をついたアレンジにやられる。「くれないホテル」はリズム面で斬新な試みをしていてなかなかのユニークさだし、「青空に飛び出せ」もオリジナル以上の爆走ぶり。「涙の日曜日」「心の裏窓」の選曲もフルートの特性を生かしていて素敵だ。最後もメリー・ホプキンの澄んだ歌声に負けていず、最高の幕引き。

こういうのを聴いていると、オーケストラ・グレース・ノーツの小型版のような楽団を組織して、今流のやり方で完全人力歌無歌謡アルバムを作りたいと妄想してしまう…当時は人材的に無理だっただろうけど、今じゃ全く別の理由で無理なんだろうなぁ…