黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

1973年、今日の1位は「ちぎれた愛」

クラウン GW-5274

空いっぱいの幸せ テナー・ギター・ドラム 夢の共演

発売: 1973年11月

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ジャケット



A1 空いっぱいの幸せ (天地真理) 🅱

A2 神田川 (かぐや姫) 🅶

A3 わたしの宵待草 (浅田美代子) 🅱

A4 裸足の女王 (夏木マリ) 🅱

A5 心もよう (井上陽水) 🅷

A6 愛のビーナス (安西マリア)

A7 恋の雪別れ (小柳ルミ子) 🅲

B1 アルプスの少女 (麻丘めぐみ) 🅲

B2 愛さずにいられない (野口五郎)

B3 小さな恋の物語 (アグネス・チャン) 🅱

B4 夏色のおもいで (チューリップ) 🅳

B5 風の慕情 (奥村チヨ)

B6 ちぎれた愛 (西城秀樹) 🅱

B7 記念樹 (森昌子) 🅱

演奏: まぶち・ゆうじろう (テナー・サックス)/いとう敏郎 (ギター)/ありたしんたろう (ドラムス) ’68オールスターズ

編曲: 福山峯夫

定価: 1,500円

 

クラウン歌無歌謡3大スター夢の共演…っても、フィーチャリングのレベルに差が生じただけで、過去に3人が顔を揃えた例が皆無ってことはないのでは。大体、まぶち・ありた両者の中の人とされてる二人はいずれもそれなりに知名度があるし、いとう敏郎にしたって誰かの変名説が唱えられても不思議ではない(それっぽい名前ではありますからね)。そんな謎の多い3人が対等にフィーチャーされたスーパー・セッションが、73年10月15日に実現。歌無歌謡にとっての節目が見えてきたからだろうか、この3人のスケジュールが奇跡的に合ったのも宿命だったのかもしれない。実際、この3名名義でのレコード活動は、翌年に終了しているのだから。

そんなわけで、普段のクラウン歌無歌謡と明らかにマナーの違うサウンドが全編で繰り広げられている。お馴染みの曲もあっと驚くアレンジを与えられているが(大体福山峯夫という人の実体も、一人のアレンジャーと限らない可能性があるし…その辺は初期のクラウン歌無歌謡からちゃんと聴いてるとよく解るのではないかと)、決して派手に出ず、それぞれの持ち味を充分に出せるようコントロールされているのだ。このコンセプトをもっと早い時期にやっていたら、絶対果たし合い的な演奏になっていたに違いないし。周りを固める演奏者も、即時対応できる能力を発揮しつつ、慎重にそれぞれのパートをこなしている。場末感とかノリ以上に、連帯感を重要視する歌無歌謡盤は稀だ。

当時のクラウンに勢いを与えた神田川の解釈一つとっても、しっとりしたイントロから一転、ボサノヴァ的お洒落なリズムに転換して、テナーとギターがロマンティックに迫る。一転してBメロではそのテンポのまま譜割が2倍になり、控えめながらドラムが暴れるという、普通じゃ考えられないアレンジになっている。「わたしの宵待草」もここまで大人っぽい解釈は稀で、しかもドラムの見せ場をちゃんと用意しているというまさかの展開だ。愛さずにいられないは、ギターにファズをかましているわりに、そこまでのハードネスは希薄。全体のアクセントにはなっている。録音技術的にドラムの暴走を助長するわけでもなく、ただひたすら全体の中に溶け込むという、ここ以外では聴けないスタイル。サックスが左側、ギターが右側に定位しつつ、どの音も粒が立ったミックスで(そのため、いくつかの曲でベースに粗が出るのが目立つのが残念…ここでベースまで暴れてしまうと、せっかくの連帯感が台無しになるのは確かですけど)、このあたりでトライデントの卓の導入が済んでいた可能性もある。場末感の向こうに見えてくるものを感じさせる、重要な一枚。