マーキュリー MCR-302L
ニュー・ヒット・ポップス・オブ・フルバンド
発売: 1972年
A1 アメリカン・パイ (ドン・マクリーン)
A2 気になる女の子 (メッセンジャーズ)
A3 クエスチョンズ67/68 (シカゴ)
A4 オールド・ファッションド・ラヴ・ソング (スリー・ドッグ・ナイト) 🅱
A5 ラヴ (ジョン・レノン) 🅴
A6 夕映えのふたり (ウド・ユルゲンス) 🅵
B1 木枯しの少女 (ビョルン&ベニー) 🅲
B2 ただ愛に生きるだけ (マルティーヌ・クレマンソー)
B3 ブラック・ドッグ (レッド・ツェッペリン)
B4 恋は二人のハーモニー (グラス・ルーツ)
B5 マミー・ブルー (ポップ・トップス) 🅲
B6 悲しきジプシー (シェール)
演奏: マーキュリー・メモリアル・サウンズ・オーケストラ
編曲: 無記名
定価: 1,300円
謎の多い日本マーキュリー・レコード(米国の同名会社との関係はそれこそとんでもなく複雑で、正解を探すのも困難)には歌無歌謡のアルバムもいくつか残されていて、当ブログでも既にカセットを一本紹介しているが、こちらは洋楽の演奏アルバム。ジャケットを見ると、英国の廉価レーベルが出しそうなインストカヴァー集というニュアンスが伝わってくるけど、これは間違いなく国内制作である。曲名を見ただけでそう勘付く人は鋭い。
シカゴ、BS&Tなどの活躍で「イケてるもの」に奉り上げられてしまった「ブラス・ロック」の動きに微妙に反応したアルバム、という表向きの顔がある。確かに、ジャズ畑の人がシリアスなビッグ・バンド・サウンドでロックにアプローチしたアルバムがこの時期相当数出されており、いくつかは「和モノ」のまな板に乗せられて近年とんでもない値段で売買されたりしているけど、このアルバムにそれを期待してはいけない。まず思考回路を「場末の歌無歌謡脳」に切り替えておかないと、どえらい目に遭う。
まずはバディ・ホリーら3人の命を奪った59年の飛行機事故を「音楽が死んだ日」として嘆いた名曲「アメリカン・パイ」。主題の悲愴さはどこへやらという楽観的で軽い演奏。語り的ニュアンスが強いメロディを直線的ブラス・アンサンブルで奏でられると、むしろこそばゆいし、正統派吹奏楽に乗っ取った和声感覚はこの曲には不釣り合い。中途半端に終わってしまい、なんかなぁと。続く「気になる女の子」は何度となくリバイバルヒットもしている、世界中で一番日本でヒットしたあの曲だが、断片化を解消できていないようなアレンジが無力感を募らせる。で、こちらは原曲みたいにあっさり終わらず、余計な2音を最後にくっつけているので余計気が抜ける。
問題のシカゴの曲は「クエスチョンズ67&68」を取り上げ、比較的忠実なブラスアレンジをしているが、右側に入っているクリーンなギターに興醒め…間奏のテンポアップ以降はなんか落ち着かない展開だし。続く2曲は、ポピュラーの王道的解釈でも許されるタイプではあるが、「オールド〜」はイントロを聴きながら曲名を見ると逆説的に「えーっ」となってしまうし、「ラブ」はレターメン盤に配されたハーモニーを踏襲したブラスのオブリガートがなんかおかしい。「Love is you」のところのコードとか、細かいとこに「これ違うんじゃ」という要素が散見されまくり。「夕映えのふたり」は、普通に「別れの朝」の歌無歌謡盤として聴けるので、最も違和感なし。むしろ、ここまでゴージャスな演奏は珍しいかも。
B面の冒頭2曲はまぁ普通に聴けるとして(「ただ愛に生きるだけ」は、似てる曲ありますよね…歌謡世界に)、その後が問題だ。パチ洋楽ファンなら仰け反り間違い無しの「ブラック、ドッグ」(ジャケ裏表記ママ)。どうアレか言葉に変えるの難しい…けど、日本民謡をストレートなブラスロックアレンジで演ったとしても、これよりはZEP濃度が高くなるのではとさえ思えてしまう怪演。「あー、あー」のところを普通そう解釈するか、という脱力加減に、無駄に張り切ろうとするギターが油を注ぐ。とどめに、この「音」で締めますか!最初に聴いた時、笑いが止まりませんでした。あと3曲、どうでもよくなります。「マミー・ブルー」に唐突にフルート入れられてちょっと困りましたが。シリアスな「悲しきジプシー」の最後にもあの和音がぶち込まれ、ダメ押しのダメ押し。やっぱこの辺の洋楽曲の多くにはただならぬ思い入れがあるので、補正かかるのは仕方ないですけど。
迫力ある吹奏楽を聴くのはスカッとするけど、プレゼンテーションの仕方は考えて欲しいな、と思わずにいられないアルバムだ。まぁ、そっち傾向への深入りも「黄昏みゅうぢっく」の重要なテーマなんですけどね。これ聴いて元のムードに戻りましょう。