ユピテル YL-8005
想い出のカレッジ・ポップス
発売: 1975年
A1 バラが咲いた (マイク真木) 🅱
A2 想い出の渚 (ザ・ワイルド・ワンズ) 🅲
A3 バラ色の雲 (ヴィレッジ・シンガーズ)
A4 白い色は恋人の色 (ベッツイ&クリス) 🅴→10/22
A5 風 (はしだのりひことシューベルツ) 🅹
A6 小さな日記 (フォー・セインツ) 🅲
A7 いつまでもいつまでも (ザ・サベージ) 🅱
A8 この広い野原いっぱい (森山良子) 🅴
B1 海は恋してる (ザ・リガニーズ) 🅲
B2 空に星があるように (荒木一郎) 🅱
B3 ある日突然 (トワ・エ・モア) 🅶
B4 真冬の帰り道 (ザ・ランチャーズ)
B5 白いブランコ (ビリー・バンバン) 🅷
B6 夜空の星 (加山雄三) 🅲
B7 悲しくてやりきれない (ザ・フォーク・クルセダーズ)
B8 若者たち (ザ・ブロードサイド・フォー) 🅴→10/22
演奏: ニュー・ポップス・オーケストラ
編曲: 無記名
定価: 1,800円
75年の段階でのカレッジ・ポップス(一部GS含む)に対するノスタルジアの色を適切にインスト化したような、そんな1枚。一昨日紹介した、フォーク全般に的を絞ったコレクションと2曲だけ共通しており、演奏者名義は違うものの同じテイクを流用している。手軽な内容のYLT品番のアルバムに比べると、解説もしっかりしているし、ガチな聴取者層を狙ってのアピールを感じる。
ところで、本盤が出るほんの6~8年前のヒット曲であろうが、当時にして早々と甘酸っぱいノスタルジーを醸し出していたのは何ゆえだろう。自分がリアルタイムで知ったと言えるのは「風」や「或る日突然」位のものだけど、ほぼ全ての曲に何らかの形で親しんだ覚えはあるし、放送メディアが効果的な形で教えてくれたのは確か。その伝授の仕方は押し付けがましくなく、幼さ故に何でも素直に知りたかった自分の心に訴えてくれた。リアルタイマー世代でさえ精々20代を卒業してなかった頃である。そんなに世代的ギャップを感じるわけがない(親子ほどの、という意味で)。
それが変わってくるのは、一体何時頃のことか。あくまでも個人的な体験から考えると、82年頃「山下達郎のサウンド・ストリート」で、アウト・キャストやダイナマイツ、ビーバーズを初めて聴いた時かもしれない。「知ってたGS」以外に、こんな世界があったのかと。その2年後、海外で出されたガレージ・パンク/サイケの私家製コンピに、モップスの「ブラインド・バード」が入ってるのを聴いて、逆説的にGSの凄さに気付かされ、黒沢進氏の著書「熱狂!GS図鑑」に巡り逢った。自分内のGS観がこれで固まった。王道ものにさらなる親しみを感じながら、未知の領域を探索することにワクワクし始めるのだ。そして、92年に『カルトGSコレクション』が一通り出る。フォークにしても、この頃にはURCの再発が一通り進んでいたりして、80年代までの世界観は何処へやら、だった。
今あるGS/和モノ事情が完成に至るのはここからだけど、このアルバムに聴かれるようなノスタルジア感の否定も進むのは仕方ないわけで、例えばファン同士で文通しあったりとか、そんな無垢な世界への憧れが廃れちゃいけなかったとは思う。その代わりに出現したのがインターネットであり、SNSであった。
自分の音楽観を何事にも邪魔されず、素直に吐き出せる場として、過去24年間そこに寄り添ったのは有意義なことだったと思うけど、ピースフルな時代の輝きが戻ってくるわけでもなし。この音楽が流れていた頃のように、素直に心を寄り添わせて、空を見上げながら本音で語り合いたいものだ。電脳越しにあーだこーだ、言葉にならない苛立ちをぶつけ合うよりも。
たとえ一人だろうが、「歌のない歌謡曲」に関心を持っていただいている人がいることを承知している故に、自分は「黄昏みゅうぢっく」を始めたのだ。知らない人に自分の趣味を押し付けるとか、そういうのではなく。
こんな日に個人的なあれこれを書くのは気が引けるけど、ここにあるのは人が人に優しかった時代に残された16個の輝きだ。75年らしいメロウな解釈が耳に心地よい。強いて言えば「空に星があるように」のフルートが聴きもの。「真冬の帰り道」で、喜多嶋サウンドの領域を押し倒す好夫ギターもなかなかのものである。