黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は小川知子さんの誕生日なので

大映 DAL-29

ラクル・サウンド 喧嘩のあとでくちづけを

発売: 1970年4月

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ジャケット

 

A1 喧嘩のあとでくちづけを (いしだあゆみ) 🅴

A2 恋人の讃歌 (ピンキーとキラーズ) 🅱

A3 逢わずに愛して (内山田洋とクール・ファイブ) 🅴

A4 君を許す (沢田研二ザ・タイガース)

A5 白い色は恋人の色 (ベッツイ&クリス) 🅷

A6 知らないで愛されて (佐良直美)

A7 愛の美学 (ピーター) 🅴

B1 私が死んだら (弘田三枝子) 🅴

B2 恋あそび (じゅん&ネネ)

B3 気にかかる (園まり)

B4 あなたと生きる (小川知子) 🅲

B5 朝がくるまえに (ちあきなおみ) 🅱

B6 恋人たちの舗道 (Kとブルンネン)

B7 さよならの総括 (新谷のり子)

 

演奏: ザ・サウンズ・エースとニュー・パシフィック・オーケストラ

編曲: 池田孝

定価: 1,500円

 

映画会社傘下という強みを活かしてか、大映レコードの通常の歌謡シングルでは大胆なサウンド的実験がしばしば行われていたが(97年出た『幻の名盤解放歌集』2枚に、その例が多くコンパイルされている)、テイチク時代末期にリリースされたこの歌無歌謡アルバムも、発想としては相当突飛だ。左のチャンネルにはフルオーケストラによるストリングス・サウンドが、右のチャンネルには小編成のコンボ楽器が奏でるメロディーがそれぞれ配され、両方のチャンネルを支えるリズムセクションと合わせて、それぞれのチャンネルの演奏を単独でも楽しめ、両方合わせると大編成のシンフォニック・サウンドが楽しめるという、そう簡単には思いつけないアイディアを実行。過去にも、主旋律を片チャンネルだけに入れて、カラオケや楽器練習用に使えるようにしたアルバムはリリースされていたが、ステレオの「臨場感」をまるで無視したこの概念を、今となっては斬新と呼んでいいのやら。当時の録音テクノロジーから考えると、両チャンネルに配されたピアノやドラム等のリズム楽器と、右側のフルートやギター等を別々のトラックに同時に録音して、それを聴きながら指揮者がストリングス・セクションのタクトを振って残りのトラックに録音、それを完全に左右に振ってミックスダウンという手順を踏んだと思われる。そのためにも、的確なサブミキサー弄りが求められたはずで、歌無歌謡レコードとしては相当手の込んだ制作プロセスを経ているのは間違いない。その分、アレンジ的なギミックは最小限に抑えられているのだが。

「恋人の讃歌」を聴いてみると、左のチャンネルからは流暢なストリングスと、奔放なヴァイブが。右からはラブリーなフルートとギターによる主旋律が聴こえてくるが、両者の音がうまく噛み合っていない瞬間も所々にあって、その辺はセパレーションに気を配っての別録音が仇になった感がある。両方同時に聴くと落ち着かないと感じるのは、セパレーションが極端すぎるというのも原因かもしれないし、アレンジが一本調子になるのも避けられないところ。「逢わずに愛して」では、ピアノが前面に出ている分安心感があるが、2番と3番のBメロの譜割がおかしなことになっているのはどうしたことか。タイガースのシングルでB面に配されながら、実質的にはジュリーのプレ・ソロ・デビュー曲になった「君を許す」の選曲は珍しい。「知らないで愛されて」で、単独ヴァイオリンの奏でる主旋律と右側のフルートがバトルするあたりは、ステレオ効果が上手く行った例。右だけ聴くとめちゃくちゃ侘しく聴こえる。「愛の美学」は本来ならピアノをもっとパワフルに聴かせるミックスをするだろうところを、控えめに抑えてしまったのか惜しい。「恋あそび」も、もっとグルーヴィなミックスで聴きたかったテイクだ。特にこのドラム、なかなかシャープな音で捉えられているだけに、全体像の中で引っ込んでしまっているのがもったいない。

この後、どんな大胆な音楽的な冒険に出るのやらという期待感は、大映レコードのコロムビア傘下への移行により閉ざされてしまうのである。「四季」盤の斬新なアイディアも捨てがたいのだけど。