黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は西郷輝彦さん、弘田三枝子さんの誕生日なので

クラウン GW-5136

恋ひとすじ 哀愁のエレクトーン・ムード

発売: 1970年3月

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ジャケット(裏)+帯

A1 知らないで愛されて (佐良直美) 🅲

A2 恋ひとすじ (森進一) 🅷

A3 恋狂い (奥村チヨ) 🅴

A4 恋人 (森山良子) 🅹

A5 花の世界 (加橋かつみ) 🅱

A6 逢わずに愛して (内山田洋とクール・ファイブ) 🅶

A7 今日でお別れ (菅原洋一) 🅶

B1 愛の美学 (ピーター) 🅶

B2 大阪の夜 (美川憲一) 🅲

B3 私が死んだら (弘田三枝子) 🅶

B4 白い蝶のサンバ (森山加代子) 🅷

B5 静かに静かに (西郷輝彦)

B6 今日は昨日の明日だよ (野平ミカ)

B7 人形の家 (弘田三枝子) 🅷

 

演奏: 田代ユリ

編曲: 田代ユリ

定価: 1,500円

 

一昨年の3月、「乙女座」の曲を『コロムビア・ガールズ伝説 FOLKY & ELEGANCE』に選曲させていただいたことをきっかけに繋がりが出来たかつての「妹」、水沢有美さんの仲介により、西郷輝彦さんの芸能生活55周年記念コンサートに意気揚々と出かける予定が、コロナ禍で1年先送りになり、1年後には「中止」に…その間に、弘田三枝子さんは帰らぬ人になり、「私が死んだら」を作詞した人、作曲した人も後を追うように。芸能界、花の命はいつまでもあるものではない。歌が聴けてる間は安泰と思ってる間に、自分の命さえ危うくなりかねない。歌無歌謡で激動の時代を振り返り始めて、10ヶ月が過ぎてしまったけど、1年なんてあっという間。西郷さんには、60周年を無事迎えることができるよう、無理せず息をし続けていてほしい。

 

昨日斎藤英美氏のエレクトーン演奏盤を紹介したばかりだが、奇遇にも今日もエレクトーン、しかも発売時期もほとんど一緒。収録曲もなんと、半分が重なっており、昨日の盤のA面最初の6曲とB面トップの曲がこちらでも演奏されている。しかし、制作方針に明確な違いがあり、こちらは完全にエレクトーンの演奏のみ、他の楽器の音は全く加えられていないのだ。まさに、乙女の孤高というべきストイックワールドが構築されている。ダビング作業も3回以上は行われていないはずで、楽器そのもののステレオアウトプットを素直に収録。ステレオアンビエントも、あるとしたらスタジオのモニター音をステレオ処理した程度で、リヴァーブ処理は全体的に控えめ。明らかに左右どちらかに音が振られているケースがあれば、そこはあとから重ねたと考えるのが妥当だろう。

のちにフュージョン寄りの演奏盤でバリバリ、できる女ぶりをアピールしまくった田代ユリさんも、ここではちょっと好奇心旺盛な音楽乙女という出で立ちで、表情を表に出さない演奏ぶりが実に潔く、壁紙のように闇に溶け込んでゆく。同じように独奏曲として扱われている「知らないで愛されて」を聴き比べてみても、斎藤英美ヴァージョンはきらびやかな音の選択でホテルの最上階ラウンジが似合いそうだが、こちらは鄙びた温泉街の旅館の片隅にたたずむオルガンという感じ。その分、1曲1曲を丁寧にこなし、クラウンの社風にちゃんと同調しているではないか。「恋狂い」のイントロのベース音など、実に鋭角的で、お嬢さんの蹴りで奏でられているのも納得(汗)。一方で「恋人」はロマンティックそのものだし。「花の世界」は奇遇にもこちらでも取り上げられていて、やはりイントロに「ふしぎなくすり」感が強烈にある(汗)。コンボ演奏がない分、さらにお花畑的イメージが強調されている印象。強烈に歌謡曲色が濃い曲を「私なんかが演っちゃっていいんでしょうかね」なんて言いつつ余裕顔でこなす一方で、「愛の美学」サウンド構築は彼女の個性が全開。左側のチャンネルにレバーを入れる音のようなものが入っているので、マイクを立てて録った音が使われているのは確実なようだし、ここではリヴァーブ処理も多用されている。

ここでのサプライズ選曲は、リアルタイムではまさか30数年後に「みんな大好き」な曲になるなんて誰も思わなかったに違いない「にくいあいつ」に続く野平ミカのシングル「今日は昨日の明日だよ」水前寺清子に負けないポジティヴなメッセージソングに本家のレーベルからの返答だが、エレクトーンだけの演奏からもしっかり前向きな雰囲気が伝わってくる。しかし、どういう「推し」があったんだろうか…早々と亡くなったことが伝えられている野平さんだが、遅くとも73年にはマイナーレーベルで「パチ歌謡」の録音に関わっていたようである。

お洒落な斎場で流されそうな「私が死んだら」を聴きながら、自分の今後に不安を抱く…そんなことはしたくないけど、この孤高な音像には終末感が確かにある。「人形の家」のラスト、「朝日のあたる家」が引用されているのは確信犯だろうか… ジャケット掲載は例によって「裏の方が好き」なパターン(汗)。