黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は黒木憲さんの誕生日なので

テイチク SL-1253

歌のない歌謡曲

発売: 1968年11月

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ジャケット

A1 484のブルース (木立じゆん)

A2 忘れるものか (石原裕次郎) 🅲

A3 釧路の夜 (美川憲一) 🅲

A4 愛の園 (布施明) 🅳

A5 星をみないで (伊東ゆかり) 🅴

A6 さよならは云ったけど (石原裕次郎)

B1 旅路のひとよ (鶴岡雅義と東京ロマンチカ) 🅲

B2 霧にむせぶ夜 (黒木憲) 🅲

B3 座頭市子守唄 (勝新太郎)

B4 あなたのブルース (矢吹健) 🅱

B5 真赤な夜のブルース (矢吹健)

B6 蒸発のブルース (矢吹健)

 

演奏: テイチク・レコーディング・オーケストラ

編曲: 無記名

定価: 1,500円

 

タイトルから単刀直入に「歌のない歌謡曲」!和製ポップスがカラフルな傾向を強める中、敢えて正攻法を貫いてみました的潔さが、さすがテイチク。とはいえ、決して保守的サウンドに終わらない独自のカラーが貫く、重量感溢れる盤だ。オープニングの「484のブルース」から、そのヘヴィネスは全開。アレンジャークレジットがどこにもないが、微妙にステレオセパレーションが異なるとはいえ、オリジナル・ヴァージョンのオケとほぼ同じ響きになっており、そのオリジナルを手掛けた山倉たかし仕事であることを、明確に匂わせている。正にアウトロー・ブルースだ。そのイメージを踏まえると、ジャケットの風景も全然違うものに見えてくる。「忘れるものか」は完全にアレンジを変えての収録だし、同じ調子で演奏される「釧路の夜」もいまいち淡白な印象だけど、「愛の園」になると若干その色が出てくるので、やはりアルバム全編山倉アレンジと、このあたりで確信に転じる。「星を見ないで」になると、イントロからもう完全に山倉マジック全開だ。翌年開花する涼川サウンドへの手がかりが、あらゆる部分に現れていて、特に「こんなにこんなに愛してる」の極一部分はもろこの曲だ。このヴァージョンを聴かずして山倉サウンドは語れない、と言い切れるほどの出来だけど、ノークレジットとは冷酷すぎ。「さよならは云ったけど」も簡素化したリアレンジ版だ。

一昨日紹介の鶴岡インスト版に比べるとドラマティックな演出ぶりで、山倉マジックがここでも露呈している「旅路のひとよ」に続く「霧にむせぶ夜」は、敢えてオールドファッションを貫き、座頭市子守唄」はウエスタン色を強めてのアレンジ。そして終幕3曲は…バレンタインデーのエントリで匂わせたけど、まさかの藤本卓也曲3連発。レーベルは違うとはいえ、テイチク社内では推し最前線だった矢吹健のヤバい世界を、B面曲まで込みでどう料理しているのだろうか、音の魔術師・山倉たかしは…夜のワーグナーが夜のラフマニノフ(?)と出会う時…

やはり、山倉氏と言えども(他の人だとしたら当然の話)、曲のキャパに萎縮している感じが否めない。敢えて安全なブルース解釈に納めているのだけど、背中に釘を打たれているようなあのオリジナルの感触が欠けていて、やはりこの世界は歌無歌謡じゃなと思ってしまう。まさか歌無しヴァージョンがあるなんてと驚嘆させた「真赤な夜のブルース」(A面の「蒸発のブルース」が要注意指定を受けたので、一部で推しの動きもあったのだろうか)にしたって、時空を歪ませるあのオリジナル盤の感触を簡素化しつつ、エレガントなタッチを加えているが、かなり軽くなっちゃってて惜しい。「蒸発のブルース」も、大映に残された村岡実盤の方が遥かにいい出来。

藤本曲の解釈でちょい減点になってしまったけれど、山倉魔術の萌芽が味わえる貴重なアルバムではある。ノークレジットだけど。それより先に、まずは歌入り曲ワークスのまとめでも発売してもらわないと。山倉宇宙は歌無歌謡や劇伴だけじゃ語れませんよ。