黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は井上堯之さんの誕生日なので

テイチク SL-1191

哀愁のギター・サウンド この手のひらに愛を

発売: 1967年1月

f:id:knowledgetheporcupine:20220314051709j:plain

ジャケット

A1 この手のひらに愛を (ザ・サベージ) 🅱

A2 恍惚のブルース (青江三奈) 🅴

A3 若者たち (ザ・ブロードサイド・フォー) 🅸

A4 夕陽が泣いている (ザ・スパイダース)🅲

A5 おもいで (布施明) 🅱

A6 二人の世界 (石原裕次郎)

A7 逢えるじゃないかまたあした (石原裕次郎) 🅱

B1 夢は夜ひらく (園まり) 🅷

B2 いつまでもいつまでも (ザ・サベージ) 🅴

B3 哀しみのギター (堀田利夫)

B4 銀の涙 (布施明)

B5 黄色いレモン (藤浩一/望月浩etc)

B6 夜霧の慕情 (石原裕次郎)

B7 さいはての湖 (日野てる子)

 

演奏: 鶴岡雅義と東京ロマンチカ/ユニオン・コンサート・オーケストラ

編曲: 山倉たかし

定価: 1,500円

 

中4日で鶴岡雅義選手再登板。ムードコーラス・バンドとして大ブレイクする寸前の東京ロマンチカをアンサンブルとしてフィーチャーしての演奏アルバム。本来の持ち味であるラテン色以上に、徐々に盛り上がりを見せるフォークの影響がもろ出ていて、まったりとしたアコギのアンサンブルには下世話なカラーが感じられない。そこに色付けしているのが、山倉たかしの高貴なストリングス・アレンジだから余計である。まるで女学生の読書の友、みたいな潔白なムードがある。例え「恍惚のブルース」みたいな曲が入っていようがだ。

「この手のひらに愛を」は出だしは4/4のテンポに改変して演奏されており、思わず「瀬戸の花嫁」かと錯覚してしまうが、Bメロから鍵ハモが入り本来の感じになる。育ちの良さというか、当時の乙女ならまいってしまいそうな知的さを感じさせる真っ直ぐな演奏。エロさが一掃された「恍惚のブルース」も、ハーモニカにより青さのようなものが加味された独特の解釈。この辺の意表の突き方がいかにも山倉節だ。「若者たち」は若干シャッフル気味のリズムで、他のヴァージョンにはない味わい。「夕陽が泣いている」もドライブ感があっていい出来だ。意外とチョーキングが多用されていたりして、こんなプレイもありなのかなと。A面を締める裕次郎の2曲は、作曲者自身によるセルフリメイク。「逢えるじゃないかまたあした」は、後に川中美幸とのヴァーチャルデュエットで再ヒットしており、そこでも山倉アレンジが採用されていた。この自演版も余裕綽々の出来。

B面ではなんと言っても「黄色いレモン」の選曲に尽きる。当時の職権上の都合ですぎやまこういち作品とクレジットされているが、実際のところ筒美京平の初作曲作品であり、当時各社競作になった記念すべき曲。当然、このヴァージョンが史上初の筒美曲歌無歌謡版ということになるわけで、絶対軽視できないのである。山倉アレンジも攻めに攻めたものとなっていて、まったり路線から一気に別方向へと舵を切るのだ。「銀の涙」もなかなかに攻撃的なアレンジで、このB面中盤の展開には胸が熱くなる。

校舎の窓から見える夕焼けを思い出させる「さいはての湖」のエンディングでアルバムが幕を閉じる時、ここから先に控えるサイケな青春の影などこれっぽっちも見えてこない。激動を通過する前の長閑な空気が、ギターの弦を震わせるのみ。まるで『ホワイト・アルバム』英国初回盤のような、見開きジャケ上部に盤を入れる仕様が珍しい。