黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

今日は志村けんさんを偲んで

コロムビア ALS-4688 

歌謡ヒット速報 十五夜の君/街の灯り

発売: 1973年9月

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ジャケット

A1 十五夜の君 (小柳ルミ子) 🅸

A2 胸いっぱいの悲しみ (沢田研二) 🅻

A3 ロマンス (ガロ) 🅶

A4 恋する夏の日 (天地真理) 🅸

A5 わたしの彼は左きき (麻丘めぐみ) 🅶

A6 草原の輝き (アグネス・チャン) 🅼

A7 出船 (内山田洋とクール・ファイブ) 🅷

B1 街の灯り (堺正章) 🅳

B2 裸のビーナス (郷ひろみ) 🅺

B3 女のきず (宮史郎とぴんからトリオ) 🅱

B4 チョットだけョ! 全員集合!! (ザ・ドリフターズ)

B5 君が美しすぎて (野口五郎) 🅵

B6 くちべに怨歌 (森進一) 🅷

B7 君の誕生日 (ガロ) 🅸

 

演奏: ゴールデン・ポップス

編曲: 穂口雄右

定価: 1,500円

 

いよいよラスト3日間…なのだが、与えられた課題故に相当重いことを書いてしまいそうだ。何があろうともここでは、時代の悲しい流れに乗せられるものかと構えていたのだけれど、今月に入ってハーモニカとか「知床旅情」とか、加瀬邦彦さんとか加藤和彦さんのことを書いていて、やはりそれなりにヘヴィな感情に襲われる覚悟はするものだと思った。特に「知床旅情」がここまで重い意味を纏うなんて、今年の初めあたりまでは予想もしなかったし。

そして、2年前の今日のことである。そこまでに至る約3ヶ月間の自分(=宗内の母体)は、極個人的なジレンマに心を痛めながら、そこからの解放をもたらすための団結力の再形成に暗い影を落とし始めた、COVID-19という未知の現象に対して神経質になり始めることになった。その末、3月22日に行うはずだったイベントを中止にするという決断に至った。その1週間後、そのCOVID-19というやつに、国民的スターのひとりがやられた。

ドリフ直撃世代として、胸を襲った悲しみは計り知れなかったが、それ以上に深刻なムードに日本全体が包まれた。あのニュースが流れたあとの、風景の沈みようったら。いつまでもそれが続くことなんてあり得ないとは真剣に思ったけど、その後約2年間、前向きに戻れぬままさらなる絶望を目にし続けねばならなくなった裏に、「一体志村けんの喪失とは何だったのか」と、でかい疑問符が頭に突き刺さる。

この、何事にもぶつかれない悲しみを解消するために、1年間「黄昏みゅうぢっく」を続けてきた。歌のない歌謡曲に安堵を求めて。この音楽に愛を注げる人達が、少しでも増えて欲しいと思いながら。

 

そんなわけで、ドリフゆかりの日が多発する3月の末尾に、またもドリフ関係の盤を持ってくることになったが、これは73年発売のアルバムなので、志村けんさんと直接の繋がりがあるわけではない。志村加入後の曲が入った盤となると、「ゴー・ウエスト」を収録したクラウン盤が複数ある位である。でも、本作に収録されている「チョットだけョ!全員集合」は、「タブー」のカヴァーではなく、長年「8時だョ!全員集合」のオープニングで歌われてきた「北海盆唄」の替え歌なので、それでいいじゃないか。他にも「全員集合」に色を添えたスター達の曲が大集合している。にぎやかに聴けるポップなアルバムだ。

編曲を担当しているのが穂口雄右氏というのも、意外っちゃ意外。72年までは洋楽カヴァー・インスト盤を中心に、過激なアレンジを持ち味にポップス裏街道を研修走行しまくっていたが、その年あたりからいよいよ歌謡本筋で作曲家としての活動を開始。その過程で手がけたこの盤からは、いかにして受けるサウンドを作るかという研究の跡が窺い知れる。過激一辺倒からポップな表現に揺れて、ある程度保守的なカラーを取り入れながらも、若さを体現した音作りになっている。「草原の輝き」のアレンジに「ポケットいっぱいの秘密」への予兆が見え隠れしているし、件のドリフの曲では、「タブー」に加え「女のみち」をサンプリング風に取り入れているが、それをぴんからの曲の次に持ってくるという構成の妙が憎めない。コロムビアの社風も「真赤な太陽」の頃からかなり変わったのだな…。ニューロックキャンディーズを結ぶ線の上に、しっかりドリフ&ナベプロリスペクトを欠かさない精神に乾杯。そういえば、元アウトキャストでもう一人、ドラムの中沢啓光氏にも、和太鼓でロック・インストに挑んだアルバムがあるんですよね。

さて、今日よりもさらにシビアな意味を持つアルバムが、明日控えている。3月になってから既に3回も登場している、あの曲のことを語らねばいけない日がやってくる。