黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

川内康範さんの誕生日は2月26日

センチュリー 25AL-0006

八代亜紀ヒット曲集 海猫

発売: 1982年11月

ジャケット

A1 海猫 

A2 あなたと生きる 🅴

A3 おんな港町 🅴

A4 もう一度逢いたい 🅴

A5 愛の終着駅 🅴

A6 涙の朝 🅲

A7 恋歌 🅲

A8 ともしび 🅴

B1 舟唄 🅴

B2 雨の慕情 🅱

B3 なみだ恋 🅺

B4 愛ひとすじ 🅷

B5 おんなの夢 🅲

B6 水仙 🅶

B7 貴方に尽くします 🅴

B8 愛の執念 🅲

 

演奏: 竜崎孝路 (シンセサイザー)

編曲: 竜崎孝路

定価: 2,500円

 

「箱買い」で巡ってきた歌無歌謡盤の中でも、最も特異なやつがこれで、かつ流れ上絶対避けて通れないアルバムだ。「加山雄三ヒット・メロディー」以来1年間、単独アーティストの曲だけを演った盤は幾つか候補に入れておきながら、ネタ増加も絡み「これは黄昏のポリシーにちょい反するな」と外してしまったりしたけれど(まぁ、大半がニューミュージック系だったし)、その伝統を打ち破ったのがまさかの八代亜紀である。しかし、単なる演歌インスト盤じゃないのだよこれが。クラウンの珍盤「アルファ・スペースG」以来の登場となる、シンセサイザーメインの盤だ。

演奏・編曲を担当する竜崎孝路氏といえば、エル・ソタノでメジャー・アーティストデビュー以来、72年に早々と編曲家に転身、同年暮れには松武秀樹氏をプログラマーとして招き、日本に入りたてのシンセサイザーモーグIII(所謂「箪笥」)を導入しての冒険的歌無歌謡盤モーグサウンド・ナウ/虹をわたって』を制作、テイチク/ユニオンよりリリースした(99年にP-VINEよりCD再発)。その後も歌無歌謡の制作に幾度か関わり、先鋭的なモーグサウンドで彩りを加えているのだが、そのうちの一つは「黄昏みゅうぢっく」の劇的な最終章のために温存しているので、6月3日をどうかお楽しみに。まさかの大どんでん返しがあるのだよ…いや、そのための伏線としてこの作品を敢えて取り上げることにしたのですが。

そんなこんなで、通常歌謡アレンジャーとしてヒット街道を躍進しながら80年代を迎え、デジタルサウンド時代に突入する中、82年にセンチュリーレコードに招かれ制作したのがこのアルバムだ。センチュリーといえば、CD時代突入以降は趣味のいい洋楽を時にはライノとの提携により日本に紹介したり(ゾンビーズの再結成アルバムや、モンキーズの『ミッシング・リンクス』シリーズの国内盤を出した)、かの宇多田ヒカルの最初期ファミリー・ベンチャーである『U3/STAR』をリリースしたり、カルト歌謡好きとしてはラップと演歌をミクスチャーした迷曲、トリオif「倖せChu-Chu-Chu」を世に送ったり…と、要注意レーベルになっているが、元はと言えば八代亜紀と作曲家・野崎真一氏の後ろ盾で発足したレコード会社であり、その門出に相応しいアルバムとして、こちらが制作されたと推測される。

さて、シンセ的に当時を振り返ってみたいのだが、まず今作はドラムの打ち込みを除き、全て竜崎氏の手弾き多重録音により制作されている(!)。情報同期統一規格・MIDIは開発されたばかりであり、一般向け電子楽器に搭載されるのはまだ先のことであったが、それを見越すより、ウェンディ・カーロス時代のようなギーク的コツコツ手作業でしか、シンセ音楽の制作が成り得なかった頃だ。MC-8に代表されるシーケンサーも出回り始めてはいたが、それも利用拒否。あくまでもヒューマン・タッチに拘って制作されたこのアルバムは、その分響きが未来的ながら、ある程度の場末感がある。当時主流になっていたDX7の使用もなく、ソロはミニモーグオーケストレーション的な部分はプロフェット5と、ミニマル機材を使い分け。部分的にエレピの使用がある位だ。一方、ドラム・パートを受け持っているのは、最新鋭ドラムマシーンだったリンのLM-1。奇遇だが、リンのサウンドを世界的に知らしめたプリンスのアルバム『1999』とこのアルバムは、同じ月に日本で発売されているのだ!そこでのグルーヴとエッジの強さを同居させた先鋭的な使い方に比べると、あくまでもベーシックに。原曲で演奏したドラマーのプレイに忠実に打ち込み、それを目立たせることはしない。どの曲にも、原曲の魅力とそれを歌った八代亜紀、さらにオリジナルのアレンジャー(もっとも、「もう一度逢いたい」「ともしび」の原曲アレンジは彼自身だったのだが)へのリスペクトが感じられる。ところで、使用機材リストにTR-808の名があるのだが、存在感がほぼ皆無…ガイドとしてさりげなく使った程度だろうか。MIDIを使用していないので、808の音源を手で鳴らしたか、もしくはリンを手で鳴らすためのガイドとして使用したかのどちらかだろう。

オープニングの「海猫」はセンチュリーに移籍後出した最新曲なので、ここで初登場だが、残りの曲は全てテイチク時代の曲で、何度も歌無化されているものばかり。場末の酒場に最新鋭の機材を持ち込み、ママさんを泣かすデジタル流しの姿が思い浮かぶ。経験値の高いアレンジャーらしく、各楽器のくせを熟知した音色作りのセンスも効いている。「花水仙のアコギなんて、デジタル前のシンセの音とは思えない。電子音楽として聴けばアナクロの極みだけど、歌無歌謡として聴くとこれが染みるんだよ…自分にも、こういうやり方でないと音楽が作れなかった時代があった故、余計そう思う。ギーク文化と演歌の接点って、意外に深いのだよ。