ロンドン SLD-4
ゴーゴー・ソフトロック
発売: 1968年
A1 誓いのフーガ (フェアリーダスト)
A2 青い影 (プロコル・ハルム)
A3 サイモン・セッズ (1910フルーツガム・カンパニー)
A5 D.W.ウォッシュバーン (ザ・モンキーズ)
A6 ジャンピン・ジャック・フラッシュ (ザ・ローリング・ストーンズ) 🅱
B2 ガール・フレンド (オックス) 🅱
B3 小さなスナック (パープル・シャドウズ) 🅳
B4 太陽は泣いている (いしだあゆみ)
B5 旧約聖書 (アダムス)
B6 花のヤング・タウン (ザ・ワイルド・ワンズ)
演奏: グリニッチ・ストリングス
編曲: 石川皓也
定価: 1,800円
なかなか巡り逢うチャンスがなかったグリニッチ・ストリングスが早々と中6日で再登場…そして、日本のポピュラー音楽史研究を揺るがす問題作。何せタイトルからして「ゴーゴー・ソフトロック」ですよ。
90年代、渋谷系を経ての再発見以降、「ソフトロック」の定義は劇的に変化し、それは世界的にも波紋を広げる結果になりましたが、そこでも取り沙汰されたのが「誰が最初にソフトロックと言い出したのか」。実際、ロックとはハードなものなのだから、ソフトな種類があってもいいじゃないかという見解はどこから出てもおかしくなかったし。実際、ビートが効いていつつも耳障りのいい、ハーモニーやらオーケストレーションで甘美に味付けをした音楽が、サイケな喧騒の裏側からひょっこり出始めた67年あたりに、そんな思想が生まれたのでしょう。その翌年出たアソシエイションのアルバムの国内盤が、『ソフトロックのチャンピオン』。無理もないです、『サイケデリックのエース』をヤードバーズに、『サイケデリックの新鋭』をピンク・フロイドにそれぞれ冠した、東芝音楽工業の仕業でした。
一方ライバルのキングは、その67年までアソシエイションの発売権を持っていましたが、悔しがる間も無く英デッカが繰り出す甘美なバロック・ポップを日本に紹介しまくり、そんな1曲「誓いのフーガ」が予期せず大ヒット。米国のハーモニーポップよりも、その辺の英国流サウンドの方が遥かに強い影響を与えたグループ・サウンズの一群が、日本のポップスの流れを一気に覆してしまうわけで。その辺の事情を、このアルバムの制作者も承知していたようで、代表例として真っ先にアソシエイション、次にビー・ジーズの名前が、ライナーで引き合いに出されています。
そんな静かな夜明けに相応しい選曲でお届けするインスト・アルバム。渋谷系以降見直された洗練感とか、マジカルという言葉が似合う響きはまるでなく、あくまでも当時の日本から見れば最先端と思えたオーケストレーションを軸に、真当にポップに聴かせます。先週の『ミドリーヌ』と逆に、先攻に洋楽を持ってきているので、流れを把握しやすい。クラシックを引用した冒頭2曲の流れが、基本的響きを設定。大編成でダイナミックに綴るストリングスの対極に、当時持ち込まれたばかりのエレキ・サックスを配して大胆に聴かせたり。「サイモン・セッズ」は寧ろB面の流れへの序曲として機能していて、かなりのテンポアップ。A面後半はどっちかというとサービス的な選曲としか思えず、特に「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は完璧なハードロック(笑)。80年代初期のストーンズのライヴ・ヴァージョン並みに疾走しているではないか。やはりここは、マイナーな自社推し曲を持ってくるより、ポピュラリティに忖度することを選んだのでしょう。「サテンの夜」とか、やってくれてもいいなと思ったけど。
B面はGSの曲を中心に、まさに若者文化の掴みやすいところを「ソフトロック」の名の下に料理した内容。この中では「小さなスナック」が最もソフロ色希薄という気がするけど、ここでは後の「別れても好きな人」を予感させる非シャッフルリズムにアレンジされて、エレガントなサウンドの中を電気アコーディオンやムーディなサックスが駆け抜ける。こんな「ラウンジ」な香りも渋谷系以降、見直されてましたねー。胸熱な「太陽は泣いている」は、オリジナルからかけ離れていない解釈で安心できるし、その次がなんと「旧約聖書」。ここまでの全て、これを誘き出すための展開だったのかもしれません。多少せこいとは言え、オリジナルをほぼ再現しての雄大な演奏。ラスト「花のヤング・タウン」は若々しく、賑々しく盛り上げる。これはオリジナルの斬新なドラム・サウンドが再現できていれば、もっとよかったんですけどね。
ソフトロック歌無歌謡と言われるとどうしても、ワーナー・ビートニックスの「城ヶ島慕情」あたりを代表例としてあげたくなるけれど、このアルバムだって立派な「来たるべきもの」なのです。