黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

追悼…バート・バカラック

マイパック DR-0004

スクリーン・ミュージック・ビッグ・ヒット

発売: 1973年?

ジャケット

A1 ある愛の詩 🅴

A2 ナタリーの朝

A3 裸足のイサドラ

A4 去年の夏

A5 小さな幸福

A6 哀愁のアダージョ 🅱

B1 黒いオルフェ 🅱

B2 愛はすべてを越えて

B3 雨の訪問者ーワルツ

B4 太陽がいっぱい 🅱

B5 雨にぬれても 🅴

B6 世界は愛を求めてる

 

演奏: シャンブル・サンフォニエット

編曲: 無記名

定価: 890円

 

6月あたりに次なる復活を目論んで、静かに潜伏している黄昏みゅうぢっくの2023年ですが、1月はほぼ毎日のように心を痛ませる訃報が続き、歌無歌謡と直結する要素は希薄とはいえ、気持ちをグッとこらえて母体のメイン活動の構想を練り続けていました。2月になって、やっと落ち着いたかなと思ったところに、超重鎮、バート・バカラックの訃報。よく94まで生き延びたとはいえ、ついこの間までバリバリ現役で張り切っておられたし、まさかこんなタイミングで逝かれるなんてと、空虚感に襲われています。「歌謡フリー火曜日」でない日に誕生日祝いができた、数少ない海外アーティストの一人だったのに。

何せ、歌無歌謡の進歩を語る時、バカラックが与えた影響は無視できないわけで。流行歌のコンテンポラリーなインスト化という点では、60年代にバカラックが見せたアプローチは重要な「教科書」だったはず。その方法論を消化し切れたのは、筒美京平以下極少数だけだったとはいえ、あらゆるアレンジャーの仕事にその影を感じることができるし、歌謡曲に限定されないインスト・アルバムの中で具体的に取り上げられた例はあまりにも多く、特にビートルズフランシス・レイと抱き合わせというパターンはいくつもありました。

今日引っ張り出した、ダイエー・マイパック初期のリリースである映画音楽集でも、最後に2曲、バカラック作品が取り上げられています。「雨にぬれても」はここで取り上げられただけでも5ヴァージョン目で、この手のアルバムには欠かせない曲ですが、「世界は愛を求めてる」は珍しい。そもそも、映画のために書かれた曲ではないのですが、69年公開された「ボブ&キャロル&テッド&アリス」の中で効果的に使われ、再注目されました。個人的には97年公開された「オースティン・パワーズ」での使用が印象的で、この映画公開あたりを境に、ヒップな音楽ファンの間でのバカラックの再評価もうなぎ昇りになった感があります。このヴァージョンは、ちょっぴりコードの簡素化がムードを残念にしてるマイナス点はあるとはいえ、ここに並べられただけでも拍手。「雨にぬれても」のフルートの明朗さのあとでは、実にメランコリックな印象をもたらしてくれています。

73年に市場に出たとはいえ、音源的には70年あたりの制作と思われ、ある愛の詩も他とちょっぴり違った、ほんのりフリーキーなブラス・アンサンブルで奏でられたり、「裸足のイサドラ」のピアノや雨の訪問者のオルガンなど、意表を突く音の選択でハッとさせたり。ジョン・サイモンが手がけた「ラスト・サマー」のカルトな選曲も無視できません。スクリーンの中に見知らぬ輝きがあった、そんな時代に思いを馳せられる1枚です。次の復活時には、今度こそ「歌謡フリー火曜日」のネタが増えそうですよ。