大人になって歩き始めた者たちが、50年経った今墓場を目指す
東宝 AX-2030~1
フォーク歌謡大全集
発売: 1974年10月
A1 渚のささやき (チェリッシュ) 🅳
A3 結婚するって本当ですか (ダ・カーポ) 🅱→10/22
A4 ある日の午後 (森山良子) 🅱
A6 精霊流し (グレープ) 🅹
A7 闇夜の国から (井上陽水) 🅲
A8 コーラが少し (高木麻早)
B1 青春の影 (チューリップ) 🅲
B2 白いギター (チェリッシュ) 🅱→21/5/16
B3 てんとう虫のサンバ (チェリッシュ) 🅷
B4 ロマンス (ガロ) 🅷
B5 夏色のおもいで (チューリップ) 🅰→21/5/16
B6 心もよう (井上陽水) 🅳→21/5/16
B7 一枚の楽譜 (ガロ) 🅱→21/5/16
B8 ふたりの急行列車 (チェリッシュ) 🅴
C1 結婚しようよ (吉田拓郎) 🅺
C2 花嫁 (はしだのりひことクライマックス) 🅽
C3 風がはこぶもの (本田路津子)
C4 誰もいない海 (トワ・エ・モワ) 🅸
C6 竹田の子守唄 (赤い鳥) 🅱
C7 旅の宿 (吉田拓郎) 🆁
D1 戦争を知らない子供たち (ジローズ) 🅵
D2 風 (はしだのりひことシューベルツ) 🆄
D3 悲しくてやりきれない (ザ・フォーク・クルセダーズ) 🅴
D4 雪 (猫)
D5 通りゃんせ (佐藤公彦) 🅱
D6 遠い遠いあの野原 (森山良子) 🅲
D7 ひまわりの小径 (チェリッシュ) 🅶
D8 耳をすましてごらん (本田路津子) 🅴
演奏: ミラクル・サウンズ・オーケストラ (AB)
石川鷹彦とそのグループ (CD)
編曲: 福井利雄 (AB)/青木望 (CD)
定価: 3,000円
徳間の『フォークの旅』に1年先駆けて出た、東宝音源による歌無フォークアンソロジー。これの前の番号で『演歌大全集』の第3巻が出ているので、姉妹編として位置付けしたと思われるが、この後シリーズ化されることはなく、ヒップキャンプス・バンドという専門部隊にその役割を任せ切ることになるので、貴重な1作ではある。
1枚目はミラクル・サウンズ名義で出た『最新歌謡ヒット』のシリーズ複数枚から寄せ集めたもの。何せ種類が多く出過ぎているので、すべての曲の出典が把握できていないが(しかも案の定、「結婚するって本当ですか」はユピテルで再登場している)、サウンド的に統一されているので違和感がないし、普通に歌無歌謡の流れの中でフォーク・ヒット曲を位置付けしたアルバムとして楽しめる。特にB面は好夫ギターがフィーチャーされている曲が多く、王道歌無歌謡の印象(それにしても「心もよう」は相変わらずのぶっ飛び様)。ミラクル名物の鍵ハモも全編で鳴り響き、明確なカラーを与えているし。過去ここで語ったアルバムに登場していない曲の中では、「闇み夜の国から」(ぉぃ)が出色の出来。混沌としたサウンド構築でひたすら突っ走る。なぜかハワイアン的な印象を随時与えるスチール・ギターが爽やかで、続く「コーラが少し」にその印象を引き継ぐ。
対して2枚目は名手・石川鷹彦をフィーチャーした、72年までの曲を集めたもので、明らかにサウンドのカラーが1枚目と違い、ガチフォーク色が濃い。この選曲のベースとなったのは、71年8月にリリースされた小室等・石川鷹彦とザ・101名義による『フォークギター・にっぽん』(PR-1003)。12曲中8曲がここに流用されているが、外された曲の中には「からっぽの世界」とか、加藤和彦の「日本の幸福」とかあって、めちゃ気になる。その1年後、吉田拓郎の2曲も含む4曲を追加して『オビュレント・フォーク・にっぽん』(PR-1005)として再発されているが、さらに6曲、ここで初お目見えの曲があり(C8、D4~8)、別途発売の予定があったがお蔵入りでもしてたのだろうか。そして、契約の関係だろうか、小室等のクレジットが一切消えている。いずれにせよ、青木望によるアレンジの手腕で、サウンドの流れが統一されており、多種多様な楽器を使用してカラフルな音を編み出している。教則レコードにしてしまうにはもったいない、ひと味違う演出が随所に聴ける。まずは「結婚しようよ」で軽く会釈。マンドリンやダルシマーも入って、素朴な華やかさだ。「風がはこぶもの」のドブロによる泥臭い音がなぜかさわやかさを醸し出し、口笛も弾んでしまうし、対して「知床旅情」はかなりのお洒落さ。当時のフォークの過激さと対極のように落ち着いた作りの「花嫁」や「誰もいない海」も、違和感なく収まっている。しかし、何にも増して凄いのが「戦争を知らない子供たち」だ。まったり演ってるなぁと油断してたら、2コーラス目からリコーダーが…それも3種類入り乱れるというカラフルな使い方で、いかにもパイプス・オブ・ピースという感じ。3コーラス目でギターのバックで奔放にさえずる様も見事で、プログレ色さえ漂う。一体どの辺のミュージシャンを動員したのだろうか…「ひまわりの小径」のフルートなんかも、ガチプレイヤーの音というより、やけに女学生っぽいし。72年の曲にドラムのない同好会サウンドというのも潔すぎる。
それにしても、「戦争を知らない子供たち」が言い表した時代性って、今となっては完全に無意味となってしまったようだ。「平和の歌」は何に飲み込まれたのだろう。このレコードを聴いて、リアルで怒号や火炎瓶が飛び交いながらも、一方では希望と微笑みが絶えなかったあの時代に、思いを馳せるしかないのだ。みんな、歌の力で一つになろうよ…って、歌無歌謡ブログで言ってもしょうがないけど…