黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

冬には…ドラマー一人で走り出す

コロムビア YS-10138-J

ドラム・ビッグ・ヒット16 漁火恋唄

発売: 1972年12月

ジャケット

A1 漁火恋唄 (小柳ルミ子) 🅺

A2 同級生 (森昌子) 🅶

A3 れんげ草 (ビリー・バンバン) 🅳

A4 女のみち (宮史郎とぴんからトリオ) 🅾

A5 狂わせたいの (山本リンダ) 🅹

A6 死んでもいい (沢田研二) 🅵

A7 春・夏・秋・冬 (後藤明) 🅲

A8 男の子女の子 (郷ひろみ) 🅴

B1 悲しみよこんにちわ (麻丘めぐみ) 🅷

B2 花は流れて (藤圭子) 🅳

B3 折鶴 (千葉紘子) 🅴

B4 せんせい (森昌子) 🅴

B5 恋の衝撃 (朱里エイコ) 🅳

B6 雨 (三善英史) 🅷

B7 耳をすましてごらん (本田路津子) 🅵

B8 夜汽車の女 (五木ひろし) 🅺

 

演奏: ミスター・ドラム・アンド・ヒズ・フレンズとオーケストラ

編曲: 穂口雄右

定価: 1,900円

 

復活月間も、とりあえずは今日でおしまい…こうやって「黄昏みゅうぢっく」を始めてからも、リーズナブルなシチュエーションでの盤との出会いが相次いでいるし、3月辺りからは創造モードにギアが入り沈滞し始めたものの、今月に入ってから、次の復活月間の目処が見えてきた位ネタが転がり込み始めてもいて、やはり歌無歌謡を追い求めることは、人生最終段階に入った自分のライフワークなんだなと思っています。そのことが、創造行為に対してもうまい具合に跳ね返ってもいるし。意外と、明日からの潜伏期間の間も、リアル機会で外に出ていく可能性はあるし、その際は一時浮上して忘れずに告知しますね。

「黄昏みゅうぢっく」哲学がまじで浸透しているか否か、それが影響してではないと信じていますが、自分でさえ歌無歌謡のホーリーグレイルだと思っているある盤が今某オークションに出ていて、スタート価格からして英国の自主プレス学生サイケバンドのアルバムかと錯覚するような、とんでもないことになっています(帯もないのに)。盤を扱う者に対して、シリアスな影響を与えないことを祈りたいという危惧が破裂したような…まぁ、そうじゃないと思いたいのですが、自分はその盤の収録曲のうち二つをつい9日前、正規な入手方法ではないプロセスでレコード盤として手に入れたばっかりなので、ちょっと呆れて眺めるだけに留めておこうと思います(汗)。現段階でその関連タグが「黄昏」のエントリについている8枚のアルバムに、その影響が及びませんように…

そのアルバムほどではないけれど、ドラム関連のアルバムに対して与えられている価値も、ちょっと過剰じゃないかなという気がする。もはや「教本」でさえないと思われるジミー竹内の盤は、どれをとっても手の届きやすい場所にあると思うし、故に自分も深追いはしてないけれど、他のものはどうだろうか。ありたしんたろうだと、「新宿マドモアゼル」を取り上げたことで神格化されすぎている『夜と朝のあいだに』を除くと、ジャケットに左右される面はあるとはいえ比較的コモンだし、原田寛治もそれらと同じ程度。ワーナー・ビートニックスの市原明彦盤は、多少値が張る部分はあるが、比較的よく見る方だ。問題はそれら以外であり、過去黄昏でフルで1枚も紹介できていないドラムシリーズ発表経験者は、総じて買いやすい価格での出回りを回避している。せめてもコンピの一部としてチコ菊池とイージー・ライダースや、キャニオンの「ダブル・ドラム」を紹介できたが。やはり、「ドラムブレイク」という言葉の必要以上の神格化が影響しているのだろうか。ジミー並に強烈な個性が刻印されていないほど、「使う側」にとってセーフなのだろうか。過去何回か、収録曲の「抜きどころ」を記したメモが、買った盤のジャケ内部からこぼれ落ちたことがあるし。

今回やっと初登場となる「ミスター・ドラム」シリーズは、34枚出して打ち止めとなったHSシリーズの最終作『雨のバラード』(71年10月)で始まったもので、その盤では石松元が「中の人」であることが明示されていたが、少なくとも1枚間に挟んで出たこのアルバムでは彼のクレジットは消えており、別の人に変わった可能性も。いや、プレイスタイル的には石松元のそれなのだけど。ユニオンの共演盤では、田中清司の持つ疾走感とバランスを上手く保ち、テクニカルなプレイを印象付けていた人。ここでの1曲目「漁火恋唄」にその個性が刻印されている。フリーフォームなプレイに本来の笛のイントロを絡めることはせず、そのままスタンダードな歌謡アレンジに絡んでいくが、どこか不調和感は否めず、市原明彦盤の悪ノリ感に勝てないなという印象。かと思えば、まさかの部分にドラムソロを挟み込んだりもする。派手なプレイを印象づける場面はどちらかといえば希少で、全体的に保守的な仕上がりの中、ドラムのビートをさりげなく強調しているという感じ。アレンジを担当した穂口氏としても、以前見せた実験性よりも再学習途上のようなタッチを優先したかったところだろうか。「同級生」に「ピポピポー」がないし、「女のみち」もアレンジの質感は一緒ながら、ヤバさという点ではワーナー/トリオ盤と雲泥の差だし、「雨」はやはりビクターの大正琴盤の圧勝。むしろ、前衛の権化、湯浅譲二氏の作品にあっと驚く味付けを施した「耳をすましてごらん」や、ビクターのリコーダー盤と別のテイストのさわやかさが香る悲しみよこんにちはが掘り出しもの。「夜汽車の女」も正攻法でジャズロック化していて、盛り上げに盛り上げる。エンディングがシンプルすぎるのがちょっと悲しい。

穂口さん、大野さん、水谷さん…松崎さんもかな…歌無歌謡の劇的な進歩に火を付けた元アウト・キャスト勢を褒め称えて、この復活月間はおしまいにしたい。思えばシティポップの源流をこしらえたのも、元を辿れば(アルバム発表前に脱退した)藤田浩一氏だし。また逢う日まで