黄昏みゅうぢっく〜歌のない歌謡曲に愛をこめて〜

昭和40年代の日本大衆文化の重要構成要素、「歌のない歌謡曲」のレコードについて考察します。

群れにはぐれた歌無歌謡バンドの姿は一体

ミノルフォン KC-30

走れ!歌謡曲/最新ベストヒット14 命預けます

発売: 1970年10月

ジャケット

A1 命預けます (藤圭子) 🅼

A2 圭子の夢は夜ひらく (藤圭子) 🅼

A3 昨日のおんな (いしだあゆみ) 🅹

A4 男は三回泣く (畠山みどり)

A5 わたしだけのもの (伊東ゆかり) 🅷

A6 私生活 (辺見マリ) 🅺

A7 今日でお別れ (菅原洋一) 🅹

B1 心の旅路 (千昌夫)

B2 ロダンの肖像 (弘田三枝子) 🅸

B3 愛は傷つきやすく (ヒデとロザンナ) 🅹

B4 噂の女 (内山田洋とクール・ファイブ) 🅻

B5 希望 (岸洋子) 🅼

B6 わが青春に悔いなし (ジョイベルス東京)

B7 波止場女のブルース (森進一) 🅺

 

演奏: グローリー・プレイズメン

編曲: 森田公一

定価: 1,500円

 

歌無歌謡の世界からは、いかなる神秘が出てくるかわかりません…この盤、なんと森田公一氏がアレンジを担当しているという貴重な1枚。タイムラインに沿うと、作曲家としていよいよ頭角を現すかという時期、自らのバンドとしてトップギャランを結成し、そのシングルデビューを4ヶ月後に控えた時に発売されている。バンドのライヴ活動も軌道に乗ってきた頃、作曲活動と同様にちょちょいとこなしたと想像されるが、音を聴いていると安直なやっつけ仕事の色が全く感じられず、ディレクターの期待に応えての堅実な仕事ぶりが伺える。この頃になると、制作総指揮の座から遠藤実氏が一歩退いたのは確かであるのだが。

バンド名「グローリー・プレイズメン」は、恐らく67年までミノルフォンに在籍していた「トシ伊藤とザ・プレイズメン」とは関係ないと思われる。が、全体的なサウンドスタジオミュージシャン集団というより、手慣れたハコバン系バンドマンの演奏という色彩が強く、リズムセクションはそれぞれ異なるGSのメンバーとして研磨を積んだトップギャランのメンバーがそのまま引っ張られたのではなかろうか。そのあたりのヒントは、徳田満氏による力著「森田公一とトップギャラン」の中に隠れてさえもいなかったが。と言えども、ベースやドラム以上に、フルートやヴァイオリン、キーボード類の活躍が目立ち、特にフルートはあまり歌無歌謡のレコードで聴けない類の音になっている。スタジオ・プレイヤーというより、強者のハコバンメンバーを引き抜いてきたという感じ。それこそ沢村和子か…と思ったが、彼女のプレイにそこまでのぶっとさは感じないし。この手のコンボ・サウンドの中に、孤高なヴァイオリンの音が聴かれる例も珍しい。ミュージシャンの選択にまで、森田氏の個性が反映されたというところだろうか。深夜放送的なドライヴィング・ミュージックをイメージして聴くとやけどしそうな1枚である。選曲の方は当然ディレクター任せだったと思われるけれど、作曲家としてそれらを吟味しつつ、独自のタッチを加える森田氏の鬼ぶりは、想像を遥かに越えている。

例えば「命預けます」は、任侠色を残しながらもラウンジ的な軽妙さが加わっており、それを背にしてのフルートの凄みが只者ではない。派手な赤で飾った花魁が暴れ回る様子が想像でき、そこに絡んでくるヴァイオリンの音がその凄みを和らげてくれる。「夢は夜ひらく」もジャジーなブルース仕立てだし、「今日でお別れ」はワルツとレゲエっぽいビートが交錯して不思議な解釈。「噂の女」は場末感を保ちながらも、パーカッションが派手な躍動感を加味していて異色の出来だ。サイケ色さえ伺える「我が青春に悔いなし」も意外な選曲。「波止場女のブルース」でも、サイケ色がより加速していて、絶妙の幕引きだ。

これと同じ月に、上原ことみ「女なんです」を手掛け、より実験的なサウンド・センスを発揮していた森田公一氏。このアルバムの方が添え物だったのだろうか。その曲がもっとヒットしていれば、この後もこの手のアルバムよろしくと声がかかったかもしれない…ロマンの価値を知らなかったのは、ライト兄弟だけじゃなかったんだよね(謎)。